「国破山河在、城春草木深」
国破れて、山河あり。城春にして、草木深し。
クニヤブレテサンガアリ。シロハルニシテソウモクフカシ。
戦乱の為に国の都長安は、破壊されたが、山や河は、あり、その春は、草木も深く茂り、自然は、昔のまま、悠然と存在しているありさま。
この詩は、杜甫、トホ、盛唐の詩人です。
盛唐、セイトウとは、中国の西暦でいえば、713年〜765年。
祖父は、宮廷の詩人だったとされる。
一時、宮廷に仕えたが、後の人生の半分を放浪して過ごす。
この、無常観が、日本にも共感するものがある。
無常、ムジョウ、とは、常にそうでは無いこと。
常にもの事は、同じではない事で、これは、仏教にも通じるものがある。
これは、松尾芭蕉、マツオバショウの「奥の細道」にも引用されています。
この特に第一文の、「国破山河在、クニヤブレテサンガアリ」は、とても、無常観がある。
だから、この一文は、日本人なら、心に響く一文です。
常にこの世の中は、動いている、人間の諍い、イサカイ、言い争いや口論、果ては、喧嘩、戦乱だって、ある。
しかし、自然は、雄大で、それを呑み込んでしまう程である。
そんな、中国の詩がある。
人間は、ほんの小さなものでしか無い。
自然に逆らうことなんて、できないのです。
悟り、サトリ。これが、大切で、人間には、できないことが、たくさんあります。
サトリとは、迷いが解けて、真理を得ること。真理、シンリとは、心の動き、です。
多くの煩悩、ボンノウ、心身を迷わせる、ことがらを捨て去り、自然と共存することが、最も大切なことです。
「国」、だけではなく、全ての者、ことがら、生き物にも「栄枯盛衰、エイコセイスイ」がある。
これは、人間の人生や世の中は、栄える、つまり、勢いのある時もあり、また、衰える(オトロエル)つまり、弱る時もあります。
だから、「無常」。
常にそのようで、いることは、無い、のです。
それは、希望でもあり、絶望でもあります。
だから、人間は、謙虚に生きていくことが、最もふさわしい存在で、自然には、勝てない、事実があります。
私達、人間は、自然から多くのめぐみをいただき、そして、暮らしています。
めぐみ、メグミとは、あわれ、アワレ(同情すること)に思って、恩恵をもらっていることです。
自然に感謝しましょう。
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