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知覧特攻平和会館で平和の大切さを感じる。Feel the importance of peace at the Chiran Peace Museum.


今回の鹿児島訪問は、3回目になる知覧特攻平和会館は、行きたかった所の一つです。戦争が、不幸な出来事であることと、平和がどんなに幸せであるか、知る、大切な所だからです。

今回は、色んな催しがあり、とてもラッキーでした。撮影は、許された範囲のみの撮影です。

特攻隊は、「三角兵舎」と呼ばれるところで、寝たりして暮らしていました。今回は、戦争のビデオも戦争の語り部と言われる方のお話も聞けました。ビデオは、英訳もあり、館内も英語が充実していますので、海外の方もご覧いただいても満足できる環境です。

特攻隊の遺書は、米国のパールハーバー戦艦ミズリー記念館にも、一部移動したようです。このような形で、平和の大切さを共有できることは、非常に嬉しいことです。

そうして、ここに不時着した特攻隊の戦闘機が、1980年に海底から引き揚げられ、展示されています。

ここは、三角兵舎。私は、ここに足を踏み込むことはできませんでした。特攻隊が寝泊まりしたところです。

戦況が悪くなり、兵力がなくなる中、14歳で戦死した兵士もいます。これは、兵士と言うより子供です。こんな悲劇は、2度と起こしてはいけない。

お母さんが、特攻隊の世話役をしていた男性の語り部は、色んなことを話してくれました。監視役から隙を狙って、遺書を女性に手渡し、人を次々と通してそのお父さんに遺書が手渡されたそうです。急いで、知覧に行くとまだ息子は、飛行していなかった。そうして、旅立つ、その前日は、寝ることもできない息子の手を握り締めて、横にずっと添い寝して、声をそっとかけ、一晩過ごしたそうです。

そうして、特攻隊として、旅立つ日を待ち、涙で、飛び立つ姿を見送ったそうです。

死ぬ日の前日は、情緒不安定になり、多くの若者は布団をかぶり、声をひそめて泣いていたそうです。寝れない日々を過ごしたそうです。

そんな話を聞くと、死を目の前にして、人は弱くなることを知ります。

韓国は、慰安婦問題を女性を侮辱していると、主張しますが、私は、男女のことなので推察ですが、そう乱暴なことばかりが跋扈しているとは、考えにくい、と感じました。

色んなことを多角的に考えて欲しい、と感じます。

ここには、魂の昇天する様子が描いてあります。

戦争は、人々を不幸にします。これは、国境を超えます。

鹿児島には、韓国の人々の慰霊の碑もあります。日本は、心から韓国に対して、お詫びをし、心から反省しています。今、韓国と日本は、あまり関係が良くありません。

ですが、同じ人間です。過去を責めるのではなく、未来に目を向けて、一緒に歩む、そんな関係になれば、幸せです。

同じ、人間です。世界中の慰安婦像がなくなりますように。

そうして、皆さまが、心から安心できる、そんな世界になりますように。

Chiran Peace Museum


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