{ "path": http://a-yoi.com, "lastSubmitted": 2023-11-19, "isPending": boolean, "isSitemapsIndex": boolean, "type": web, "lastDownloaded": 223-11-19, "warnings": long, "errors": long, "contents": [ {     "type": sitemap,     "submitted": 509, "indexed": long } ] }

人材不足は教育現場とのギャップにある|問題解決能力を高めるために必要なこと


私は、公立小学校のPTA役員の集まりに出たことがあります。道徳に関しての課題を検討、討論する場が設けられました。日本の教育の根底にある道徳の考え方を知りました。

今回は、このことについて、書いていきたいと思います。

子供と親が一緒に歩いていました。目の前に大きな水たまりがあります。子供はお出かけ用の服を着ています。さて、親として、あなたは、どうしますか?という問題が投げかけられました。いくつかの回答があり、そのサンプルに合わせて、回答を集計しました。

さて、あなたなら、どうしますか?…色んな設問がありました。

日本の基準の道徳の考え方は、このように答えることが、正解とされました。「大事な洋服だから、子供の手を握って、水たまりを避けて通り過ぎる」

私の考えは、どの設問にも合わず、その他、と回答しました。

さて、正解とされる回答は、本当に道徳教育として、正論でしょうか?

私は、非常に、疑問があります。私の、その他の回答は、このような回答でした。「子供に水たまりのあることを知らせる。そうして、考えさせる」と回答しました。

会場には、誰一人として、このような回答をする人はいませんでした。確かに、大切な洋服を汚すことは、避けなければなりません。しかし、世の中に出れば、わかることですが、悪いことと決めつけられることができない場面があります。

日本には、銃はありませんから、凶器としては、包丁があります。

包丁で、人を傷つけることは、犯罪です。ですが、包丁で刺されそうになった時、それを力ずくで取り上げて、相手を包丁で刺してしまう、という事例がありました。

これは、よく裁判で争われた事項ですが、同じようなことをしても、自分を守るために、包丁で相手を刺したわけですから、これは、「正当防衛」と言われて、減刑されるようになりました。

そうして、次に、裁判で、よく争われた事例は、その包丁をどこで、入手したかでした。包丁の刺した相手のいるところで、見つけて入手して、相手を包丁で刺せば、これは、犯罪は、計画的ではなく、衝動的なものとして、減刑されました。

あらかじめ、用意された包丁なら、計画的な犯罪として刑は重く、なりました。

このように同じ、犯罪が起きても、これは、色んなパターンがあり、相手を包丁で刺す、という行為は、その事情によって、刑は、同じではありません。

ですから、同じようなことでも、これは、状況によって判断は、異なります。

このように、日本では、過去に、裁判で、論争されたことがあります。

さて、話は、元に戻りますが、果たして、「大事な洋服だから、子供の手を握って、水たまりを避けて通り過ぎる」と教えることは、果たして、道徳の授業として、良い回答なのか、という問題になります。

悪いことは、してはいけない。つまり、正当防衛さえ、できない教育なのです。確かに、してはいけないことだけれども、社会は、複雑ですから、色んな場面に遭遇します。

そういう時に、「考える力」はとても大切だと思うのです。しかし、私の過去の経験では、日本の教育は、非常に硬直しており、ちょっした規格外の子供は、非常に生きづらい、そんな環境であることが、この会合でよく分かりました。

多分、これは、今も、さして変わることなく、運営されているでしょう。良い意味でも、悪い意味でも、国民性はそんなに急激には、変わりません。悪いところもあるけれども、良いところもある。以前書きました。

性悪説が正しいと思うこれだけの理由|人は誘惑に負ける

人には、完璧はありませんから、悪いところも、認め合いながら、お互いに完璧ではないのですから、協調して、認め合うことが、大切です。

しかしながら、グローバルに発展することが、必要とされているこの時代において、自己解決能力は、必須、であり、常に、自分で、小さなことでも、解決することは、それを、積み重ねると、それは、多くの年月を経ることにより、問題解決能力をどれだけ、能力として、備えることができるか、大きな差になると、思います。

日本の画一的な教育では、その問題解決能力はなかなか、身に付かないと感じます。

私の子育ては、ちょっと日本の教育とは、基本が違っていましたから、非常に個性的な子供です。子育ては、長い年月を必要で、答えは、遥か彼方にあります。だから、正解は、なかなか探せません。

しかし、今の日本は、問題解決能力を企業が盛んに求めています。だから、やはり、このような人材が不足していることは、歴然としており、これは、教育現場において、改善しなければならない、事項の必須科目だと私は、普段から、感じています。

私は、一個人でしかありませんが、自分の子育てに、今でも後悔はないです。

公立学校の先生からは、批判もありましたが、私立学校で、そういうこともなく、自分らしく、育ったので良かったと思っています。

色んな個性がありますから、それを伸ばしてあげるような、環境にしてあげてください。子育てに、回答はありません。

あるとすれば、遙かな将来にあります。

今回は、日本の道徳教育と子育てについて書いてみました。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。


“人材不足は教育現場とのギャップにある|問題解決能力を高めるために必要なこと” への2件のフィードバック

    • ブログいつも拝見しています^ ^
      ブログは根気がとても必要です。
      覚悟していましたが、私も何度も挫折しそうになりました。
      そんな時は、休みながら続けています。
      短期的には、なかなか成果を得ることはむずかしいですが、好きなことなら、成果も考えずに、コツコツ投稿することが大切だと、今さらながら、感じています。
      お互いに、無理せず、楽しくやっていきましょうね(^。^)

コメントを残す

Blog at WordPress.com.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。