鹿児島観光スポット、桜島を訪ねる。Visit Sakurajima, a sightseeing spot in Kagoshima.

今回は、鹿児島観光なら、やはり「桜島」。今も活動して、時折噴火している桜島。そんなところだから、火山灰の大地で、大きな膨れ上がった「桜島大根」ができます。 手のひらより大きな大根を薄くスライスしてお漬物にしたりします。塩と少し薄く甘い味をつけたもの、味噌味のものなどがあります。 私が、最も印象に残った、お土産は、「椿油」です。髪の毛は、もちろんですが、ボディにも使えます。「椿油」が、産直品でお手軽に購入できます。一升瓶(1.8L)の椿油も販売されていました。この油で、調理するのでしょう。とても贅沢なお土産です。 また、火山の島、ですから、軽石も売っていました。これは、身体に硬い皮膚がある時に、硬くなった皮膚を入浴中の時、柔らかくなった皮膚に擦り当て擦り落とします。いろんなお土産がありますので、ぜひご覧になってください。 桜島は、何回か足を運びましたが、展望台は、良い天気に恵まれませんでした。 これは、桜島フェリーの入り口です。 桜島フェリーの雰囲気を味わってください。 帰りは、裏手の橋を渡ったこともありました。裏の景色は、噴火の火が夜間になると見えることもあるようです。橋を渡れば、漁港がありのんびりした景色が伺えます。 今回は、桜島のレポートでした。桜島フェリーは、料金もそう高くはありません。とても回数が多いので、観光するのに、使うと、時間が効率よく使えますので、是非、お気軽に使ってみてください。美しい桜島でした。

鹿児島観光スポット、東郷平八郎の像で国土を守る大切さを知る。Learn the importance of protecting the land from the statue of Heihachiro Togo, a sightseeing spot in Kagoshima.

多賀山は、山上から鹿児島市のほぼ全域が望めるとても景色の良いところです。ですが、地元の人以外は、知らないところで、ここを訪れる人は、少ないところです。 石橋記念公園に隣接する多賀山に東郷平八郎の墓所があります。この場所に選ばれたのは、鹿児島湾に入る艦船から中央に見える場所で、東郷平八郎を海軍に進んだ薩英戦争の遺跡、大砲台跡が真下に見える場所だからだそうです。 「国が栄えるのも、敗れるのもこの一つの戦いにある、各員一層努力せよ」1905年艦隊の司令官、司令官長の乗っている三笠にZ旗(国際信号旗)をつけて、日本海海戦が始まりました。 東郷平八郎は、連合艦隊司令官長としてこの海戦を指揮しました。丁字戦法によってとても強いロシアバルティク艦隊を全滅させました。 1847年鍛冶屋町に生まれ15歳で薩英戦争に参加しました。強い海軍を人生の目標とした少年は、イギリス留学した後、海軍の増強に心を注ぎ、「世界の名将」と言われるようになりました。 年老いて、東宮学問所総裁を務めた東郷元帥は、1934年、88歳で亡くなりました。 国葬によって多摩墓地(東京)に埋葬されました。多賀山には、元帥の遺した髪の毛が、葬られました。そうして、銅像が建てられました。 ここには、このような言葉が刻まれています。 東郷元帥の碑 東郷元帥に聖将の名を贈れば固く辞退するでしょう。謙譲であることは、徳であり、これは、大切な性格の一つだからです。しかし、国の名将と呼ぶなら元帥は断ることは、できない。 なぜなら、海上決戦においてこの日本を救った2大監督は、日本の東郷平八郎とイギリスのネルソンであると、世界が公認しているからです。 1905年5月27日、連合艦隊の司令官長の東郷平八郎は、戦艦、三笠の壇上で「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力(気力を奮い起こして頑張ること)せよ。」の信号を出して目標を高く持ち、敵の艦隊を対馬水道で待ち受け、各員は東郷元帥に統一され、見事に敵は撃滅し、大勝して、「皇国興隆(国が栄えること)」の基本をこの戦いに規定しました。 まだ有名でもないただの一般人として、1847年2月22日、鹿児島県鍛冶屋町に、東郷吉左衛門の4男として生まれた仲五郎が、日清戦争中、軍艦、浪速の艦長として活躍。 イギリス高速艇の撃沈事件に東郷元帥の英断と国際法的教養を持つことによって、「皇国の興廃この一戦にあり、客員一層奮励努力せよ。」と歴史に残る言葉を発した。 そうして、日露戦争で歴史的に表彰される事柄を成し遂げました。その後、東宮学問所の総裁を務め、日本の成長に貢献する大人物の生涯になるとは、非常に驚きです。 青少年の時、西郷隆盛より教育を受けた。17歳の時、薩英戦争で国を守ることを認識しました。明治維新には、函館の海の戦いをして、24歳に帝国海軍見習い士官になり、25-32歳の8年間をイギリスに留学して、兵理学法実際を修学して、日本に帰り、艦長、司令官、を歴任しました。 そうして、監督になる気質を磨きました。 その間に、病気に何回もなり、苦しんだけれども、これは、病気に負けない闘志と、人間としての道徳を得るきっかけとなりました。そうして大きく成長しました。 東郷元帥は、一人の将軍であったが、成功してこのようになり栄えた人生でした。これは、簡単に達成できる、ものではない。 ネルソンの像がイギリスの首都、ロンドンの繁華街にあるのも一つの方法である。 東郷元帥の像が、故郷に建ち、眺める様は美しい。1957年5月27日。 人、一人しか通れない階段を登ればそこに東郷平八郎の像があります。 しっかりと鹿児島湾を見渡して建っています。日本の最南端だった鹿児島県。(今は、沖縄)ここには、国防して、国境を守るという、強い日本の意志を感じることができます。 時に、理不尽なことが国境では起こります。これは、非常に憂慮すべきことです。 だから、自分の国は、自分で守る。そんな強い決断と思いを感じる場所です。平和は、国民と国土があってこそ、感じることができる、必要にして、最低限の条件だからです。 日章旗を嫌う、人もいます。ですが、国土がなければ、国民は幸せを感じることはできません。国を守る。大切なことだと感じます。 戦争は、人々を不幸にします。だから、幾度の苦難があっても、心を曲げることなく、しっかりとした「道徳」があれば、戦うことなく、互いに、理解できると思うのです。理想論だとは、思うのですが、現実は、悲しいことの連続です。 戦艦「三笠」が、神奈川県横須賀市に保存されています。見学もできるようです。興味ある方はどうぞ。

鹿児島観光スポット、石橋記念館と西郷隆盛を訪ねる。Visit Kagoshima sightseeing spots, Ishibashi Memorial Park and Saigo Takamori.

鹿児島市の中心を流れる甲突川には、上流から、「玉江橋」「新上橋」「西田橋」「高麗橋」「武之橋」のアーチ橋が、5つあり、「甲突川の五石橋」と呼ばれていました。 これらの橋は、1860年ごろ薩摩藩の城下町として整備されたものです。薩摩藩の財政は、豊かでした。その建造にあたったのが、岩永三五郎が、熊本県から招かれました。 主に、中国から伝わった架け橋技術。それと、城の土台になる石垣技術。この二つの技術が交わり、独自に発展をした日本を代表する5つの石橋で、150年間、実際に使われていました。 1993年8月6日の集中豪雨により、2つの橋は流され、残り3つの橋が無事に残りました。その3つの橋も、破損が激しかったのです。 甲突川を改修工事するときに、非常に多額のお金をかけて、3つの橋が、復元、移築されました。2つは、祗園之洲公園に移設、写真の橋は、石橋記念公園の中にあります。そこには、石橋記念館があります。 復元されたものですので、一つひとつ、丁寧に組み上げられました。轍(わだち)や、石の継ぎ合わせられたところもあり、非常に丁寧に復元されています。 このように、一つひとつ補修されて組み上げられています。 当時の技術で、石をこのように丸い筒状にするには、非常に高い技術が必要でした。 これは、「西田橋御門」です。隣接している祇園之洲公園には、西南戦争の戦没者慰霊碑や砲台の跡があります。 Ishibashi Memorial Park 近くには、フランシスコザビエルの記念碑があります。1549年日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン出身のキリスト教宣教師。 ザビエルが、鹿児島に来て初めて渡ったとされる橋が、この公園の近くにあるそうです。 来日したザビエルは、日本語を鹿児島で習得しましたが、地方訛り(方言)のある日本語を習ったために、キリスト教を伝えるために、日本国内で活動するのに、苦労したそうです。 そんな話が、この鹿児島では、語り継がれています。近隣には、韓国兵の慰霊碑もあります。近隣諸国との関係は、非常に難しいものを感じます。 西南戦争とは、1877年2月15日から9月24日まで続いた日本国内の最後の内戦。「明治維新」を推進した西郷隆盛が、起こした戦争。これにより、武士という制度が無くなった。 西郷隆盛の像。鹿児島市内にある。 山手の方にある「西郷隆盛洞窟」西郷隆盛が、政府軍に追い詰められてこの洞窟に身を隠したとされる。 内部の洞窟の様子です。 ひっそりとして、訪れることも少ない西郷隆盛の終焉の地。「晋(しん)どん、もうここでよか」 2弾の銃弾が、西郷隆盛の腰と大腿部に撃ち剥きました。城山洞窟を出てわずか300m,650歩で動けなくなりました。 「晋どん、もうここでよか。」東を向き、皇居に平伏し、拝む西郷隆盛に別府晋介(切腹する人に付き添って首を切り落とす役人)によって、首を振り落とされました。 1877年9月24日。 西郷隆盛を敬愛し、私学生徒を中心とした反政府勢力となった薩軍は、2月15日に熊本に50年ぶりの大雪に軍を進めました。それは、70日に及びました。熊本城の攻防、田原坂の戦に敗れ、人吉、宮崎、延岡、に追われ、軍は解散した。軍の幹部は、故郷の鹿児島を死に場所に選び、山脈を伝うような非常に苦難をして、鹿児島に戻った。 岩崎谷の銃声がなくなり、西郷隆盛の死体が発見された時、政府軍の総司令官、山県有朋(やまがたありとも)中尉は、「翁は(相手を敬う言葉)、まことの豪傑だった。残念なのは、翁をここまで追い込んだ時の流れだ。」と言葉を残しました。そうして、長い時間黙祷したそうです。 西郷隆盛洞窟から山手に登ると、城山がある。ここからの眺めは、非常に良い。錦江湾と桜島が眺められる。一度は、行って見たいところです。ここで、西南戦争の最後の戦いが行われました。 巨万の富を持った、薩摩藩。最後はこのようにして政府に吸収されました。

鹿児島観光旅行お土産、薩摩切子見学。Kagoshima sightseeing trip souvenir, Satsuma Kiriko tour.

今回は、薩摩切子のことを書いていこうと思います。お土産としては、高価ですが、見学するだけでも、とても楽しい所です。まずは、工房が一般公開されていますので、どうやって薩摩切子が、生まれるのか、見ていきましょう。 まず、ガラス素材を鉄の管の先にいれ、高温にて、息を吹き入れながら、膨らませていきます。 とても高温な作業で、危険も伴います。色んな器具で整形していきます。 全部の工程は今回は、していませんでした。手作業によって一つひとつ、作られます。一番大切な工程は、絵付です。 このように、熟練の技師が、丁寧に仕上げていきましす。 「島津紫」を発見!「島津紫」については、後からご説明します。 多くの過程を経て、薩摩切子は、仕上がります。 日本の色んなところに切子がありますが、「薩摩切子」は、紫色にこだわりがあります。 この紫には、歴史があります。従来の色は、マンガンやニッケルを調合して発色されていましたが、28代の斉彬の時代に、金とコバルトを調合することによって紫色を出すことに成功しました。 この調合により、透明感のある鮮やかな紫の「島津紫」の「薩摩切子」は、とても貴重なものになっています。 1,000,000円、2,000,000円するものは、絵付がデザイナーによってデザインされているので、お値段がお高くなります。薩摩切子は、元々お値段は、お高いですが、デザインされているので、ますますお高くなります。 良いものを見ることは、とても良いことです。島津家の販売する薩摩切子は、格式が高いので、お値段は非常に高いです。 今回は、薩摩切子と「島津紫」の美しさを堪能していただけたと思います。制作する工程も職人が丁寧に仕上げているので、安心できますね。 日本全国に切子はありますが、「島津紫」の薩摩切子は、とても印象に残りました。なかなか、購入するには、勇気のいるお値段ですが、見学するだけでも楽しいです。 オーダーできるようですので、注文して完成まで待つ楽しみもあると思います。 表紙の写真は、日本の文化庁に登録されている旧薩摩藩の工場の事務所で、登録有形文化財(第46-0005号)。現在は、それをスターバックスコーヒーがここで営業しています。私はここで、休憩しました。とても居心地の良い空間でした。

観光スポット霧島神宮、さざれ石を見つけた。Sightseeing spot Kirishima Jingu, I found a sazare stone.

今回は、鹿児島県霧島市にある霧島神宮です。霧島神宮の周りには、霧島温泉があります。以前は、霧島温泉に泊まりました。なんとその温泉宿は、薔薇の花びらを一面に浮かせてありました。とても優雅に温泉を楽しみました。その時は、Bookingでホテルを予約しました。検索してみましたが、ホテルの名前を覚えていないのが、残念です。たくさん温泉宿もあるので、色んなサービスがあると思います。日帰りで、1日貸しの温泉宿も数多くありますので、宿泊予定のない方は、温泉を楽しみたいときは、そういう施設を利用すると良いでしょう。 道沿いに自動車を駐車することができます。秋は、紅葉の季節。霧島神宮は、橋を渡って階段を登ります。そこに参道があります。霧島神宮の入り口です。 国宝指定です。とても華やかな霧島神社です。 招霊木(Ogatamanoki)です。魂を招き入れる木です。苔が生えていて、風格があります。 手水舎。ここで手を清めます。お参りするには、ここで身を清めます。お花が添えられていて、とても、美しいです。 「日本の国歌」の歌詞にある「さざれ石」。この石は、学名を石灰質角礫岩です。石灰石が、雨水に溶解してその石灰分を含んだ水が時には粘着力の強い乳状体隣、地下に置いて小石と結集して次第に大きくなる。やがてそれが地上に顕て国歌の歌詞のように1,000代、8,000代、年を経て「さざれ石」厳しく、正しいその有様は、年月が、苔がつく、そのような姿は、非常に、めでたい状態で、喜ばしい限りです。この石は、国歌発祥の地である岐阜県揖斐郡春日村の山中で発見されたもので、その集積の過程の状態はこの石を一見してよくわかる。この文章は、1962年文部省の中に贈呈された「さざれ石」の木札に書かれていたもの。国歌の歌詞に出てくる「さざれ石」については、岐阜県揖斐川町出身の小林宗一(号宗閑)氏によって、発見解明されました。 私は、この「さざれ石」を求めて、岐阜県に行きました。そこは、樹木で鬱蒼としており、車1台がやっと走れるくらいの道沿いに寄り添うように川がありました。そこに国歌に出てくる「さざれ石」があったそうです。鹿児島県、霧島市でこのように、幻の「さざれ石」を見れたことは、とても嬉しかったです。霧島神宮に行く機会がありましたら、是非、ご覧になってください。 この木は、「御神木」(Goshinboku)と言って大切なものです。種類は、メアサ杉、樹齢800年、高さ38m、幹廻7.2m。 ここで本殿でお参りします。正面を左に行くと、奥にもう一つひっそりと神社があります。山道の両脇には湧水が流れています。 若宮神社。とても小さいですが、皆さまお祈りをしています。願い事を書いた木札もたくさんあります。 今回は、鹿児島県霧島市にある霧島神宮をご紹介しました。本殿は、非常に手の込んだ建物で、高い場所にあります。展望台もありますので、景色を楽しむのも良いと思います。これを読んで、いただきまして、皆さまが、楽しんでいただけたら、とても嬉しいです。

観光スポット鹿児島県仙巌園の秋。Sightseeing spots Autumn in Sengan-en, Kagoshima Prefecture.

1658年、島津家19代光久によって築かれた薩摩藩島津家の別邸です。目の前に桜島を庭の山と見立て、池を錦江湾にした壮大な庭園です。内部には、茶所もあり、時間をかけて、じっくりと過ごすこともできます。薩摩藩の豪華な別邸の暮らしを垣間見ることは、非常に豊かな暮らしぶりが随所に散見できます。また、訪れた秋葉、日本の花の一つ、菊の季節でした。私は、こんなに綺麗に、そして豪華な菊を観たのは、初めてでした。一緒に庭園の豪華さと菊の美しさを楽しみましょう。 磯名物「両棒(Dyanbo) 武士が、大小の刀を差している姿を「両棒差し(Dyanbosasi)」と言っていました。餅に2本の竹串に差しているのと重ね合わせてこのように呼ばれるようになりました。1831年以前から作られていました。薩摩武士に愛された食べ物で、馬追などの行事に藩主や家臣などが食べていました。とても歴史のある食べ物です。 薩摩藩、島津家の家紋、丸十紋。 御殿は、別料金が必要です。1884年に改築されています。 1857年28代斉彬は、鶴灯籠を用いてガス灯の実験をしました。城下町をガス灯で明るくするのが、夢でしたが、急死によりできなかった。 水力発電所跡。 水道橋。水源が、山奥にありました。ここを通って水は、供給されていました。 水道橋周辺は、緑豊かです。とても手入れの必要な竹林も「和」の美さを醸し出しています。紅葉がとても綺麗です。竹林は、中国から日本で初めて植えられた「もうそう竹」 「猫神」猫の瞳の瞳孔の開き具合で、時間を知ったそうです。その猫が祀られています。 「筆塚」があります。書を大切にしたのでしょう。 御殿の姫の間。こんな大きなお城でも、女性は、質素な住まいでした。 秋は、柿ですね。柿は、実りの付くまで8年かかると言われています。 正門。楠でできています。29代忠義が建てました。門の上部中央、門の左右に島津家の家紋が彫られています。 横にひっそりとある尚古集成館(Syoukosyuseikan)ここを一番撮影したかった所。でも、館内は、撮影禁止。ここには、薩摩藩の作った大砲があります。今も、昔も、兵器は儲かります。ここが、一番撮影したかったので残念でした。 今回は、秋の仙巌園をご覧いただきました。楽しんでいただけたと思います。世界遺産にも登録されています。

古都京都、龍安寺の「無」をさとる旅A trip to the ancient city of Kyoto, Ryoanji Temple.

今回は、京都、石庭で有名な「龍安寺(りょうあんじ)」です。春の早い時期と、秋の早い時期に2回行きました。この様子を皆さまにご覧いただきたいと思います。龍安寺は、臨済宗妙心寺派。大雲山にあります。 白い小さな石があります。そうして大きな15の石を配置しています。日本人には、よく知られている「水戸黄門」(徳川光圀/とくがわみつくに)の言葉が刻まれた鉢があります。 そこには、「私は、だだ、満足することだけしか知らない」と言う意味が漢字で書かれています。また、「方丈(ほうじょう)」の間には、風流な水墨画の襖があり、3つ部屋がありますが、それぞれテーマが、あります。 瓦にも趣があります。極度に、華美を避け、研ぎ落とされた「美」に「満足しかない」と書かれた鉢があり、そこには、究極の「美」を堪能する静かな空気が漂っています。 ここでは、大声をあげる人もいません。ただ、石庭を前に、多くの人々が、腰をかけ、15の石を眺めています。ここには、心を満たす、「何かがあります。」これこそ、究極の「美」かもしれません。 早い春の龍安寺からご覧ください。 This time, it is “Ryoanji” which is famous in Kyoto and Ishiba. I went twice, early in spring and early in autumn. I would like everyone to see this situation. Ryoanji is a Rinzai sect Myoshinji school. It is located on Mt. Oun. There is a small white stone.… Continue reading 古都京都、龍安寺の「無」をさとる旅A trip to the ancient city of Kyoto, Ryoanji Temple.

京都観光スポット、雨の夜の八坂神社Kyoto sightseeing spot, Yasaka Shrine on a rainy night.

今回は、京都市東山区祇園町北側の「八坂神社」です。この神社は、とても便利な所に位置しています。昼は、その賑わいは、晴れやかで、お正月になると初詣に多くの人々が押し寄せる。 そんな、晴れやかな所です。 This time, it is “Yasaka Shrine” on the north side of Gionmachi, Higashiyama-ku, Kyoto. This shrine is located in a very convenient location. In the daytime, the bustle is radiant, and many people come to the shrine for the first time on New Year’s Day. It’s such a sunny place. これが、西楼門。きれいなライトアップで、その門は、より晴れやかで、夜の静かな空気を彩りを加えています。夜の闇に決して取り込まれないように、絶えずライトアップされているその様子は、京都の祇園の街を明るく照らし、高台にある八坂神社は、街を守っているように見えます。 This is… Continue reading 京都観光スポット、雨の夜の八坂神社Kyoto sightseeing spot, Yasaka Shrine on a rainy night.

京都観光スポット、雨上がりの夜の八坂神社Yasaka Shrine, a sightseeing spot in Kyoto, at night after the rain.

今回は、雨上がりの八坂神社です。 少し残った雨は、微妙に光を乱反射させます。これが、幻影的でした。前回は、「雨の日」でしたので、「雨の人生」と重ねあわし、その姿は、大きくその心を包む「八坂神社」の壮大な姿を書いてみました。では、「雨上がりの八坂神社」は、どのような心でしょう。心の旅をしながら、八坂神社を拝見してみましょう。 This time, it’s Yasaka Shrine after the rain. The remaining rain slightly reflects the light diffusely. This was fantastic. Last time, it was a “rainy day”, so I overlapped it with “rainy life” and wrote a magnificent figure of “Yasaka Shrine” that greatly envelops that heart. Then, what kind of heart is “Yasaka… Continue reading 京都観光スポット、雨上がりの夜の八坂神社Yasaka Shrine, a sightseeing spot in Kyoto, at night after the rain.

京都、高台寺と圓徳院のライトアップにお出かけGo out to light up Kudaiji Temple and Entoku-in Temple in Kyoto.

今回は、京都市東山区にある高台寺と圓徳院のライトアップです。 豊臣秀吉と北政所を祀る御霊屋は、撮影禁止です。ですから、ぜひ、ここに来て見て下さいね。 今回は、ライトアップの時に行ったものです。京都の夜は、雨の日もまた美しさが、格別です。心模様を映し出すように、その風景は、歴史を感じ、自然を堪能して工夫されています。 時に、人は、完全を欲しがりますが、不完全な美も非常に美しいものです。それは、万人が、同じ感性を持っているのではないからです。だから、色んな「美」があります。 天気によって、季節によって色んな美しさがあります。それは、壮大な時間を超えて、今、再現されています。 今を生きる私たちにとって、古来の人は自然と共存し、そこに小さな喜びを見い出していました。これは、交通手段もない昔の人は、そうすることで、毎日を過ごしていました。 ですから、非常に考えられた、美しさがあります。四季を愛し、風景を愛し、そこには、庭に、美しさを凝縮しています。では、見ていきましょう。 This time, we will light up Kodaiji Temple and Entoku-in Temple in Higashiyama Ward, Kyoto City. Shooting is prohibited at the Mausoleum, which enshrines Toyotomi Hideyoshi and Kodai-in. So please come here and take a look. This time, it was done at the time of lighting up. The… Continue reading 京都、高台寺と圓徳院のライトアップにお出かけGo out to light up Kudaiji Temple and Entoku-in Temple in Kyoto.

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