あるお寺に行った。そこは、病気を治すと言われる仏様がある。
そこに祈りを捧げている人を良く見る。
この現代において、病気が、祈りによって治るなんて、信じる人は、少なくなった。
科学が、発達して、そこには、理路整然(リロセイゼン)とした、論理があり、検証がある。
だから、人は、宗教を信じる人は、ずいぶんと、減ったそうです。
だから、日本のお墓も少なくなって来ています。
もちろん、人口が、減ったこともあるけれど、それ以上にお墓は、なくなって来ています。
合同葬と言って、共同墓地とか、日本は、火葬といって、火で焼いた遺骨を粉にして、散骨といって、生前の「遺言」によって、その場所に骨の粉をばらまく。ほんの少し、だけど。
そうやって、宗教から、少し、距離をおいている。
けれども、やはり、人は、何かに、すがりたい程、苦しい、時がある。
こんな現代でも。
前述のあるお寺に少しお年のいった夫婦が、数珠を手に、一生懸命、お経を唱え、お祈り、しています。
それぞれ仏様の前で、お祈りしています。
とても、心から、何かを、お願いしているようでした。
その横に、僧侶が、無言で、あゆみより、数珠を持ち、一緒に拝み(オガミ)ました。
心から、伝わるものが、あったのでしょう。
私は、このシーンを心から深く印象に残っています。
違うところでも、ずーっと手を合わせ、動かない、人もいます。
人は、誰でも、苦しみを持っています。
これは、こんなところに行けば、良く見るシーンです。
人は、本当の苦しみは、言えません。
苦しくて、これは、口から吐き出すこともできずに、飲み込んでしまいます。
自分より、苦しい人なんて、いないと思うかもしれません。
ですが、そうではありません。
多くを語る事なく、人は、なんらかの「苦しみ」を持っています。
だから、幸せだと見える人でも、それは、苦しみをたくさん持っています。
人は、苦しみをたくさん持っているだけ、「明るく」なります。
それらを隠そうとするから、です。
それを「口に出して言えない」から、カモフラージュをします。
日本のことばにこう言うことばがあります。「となりの芝生は、あおい」。人は、自分より、幸せに見える、のです。
だけど、今、尚(ナオ)、祈り、をする人は、後を断ちません。
これは、とても、苦しい人が、居る、ということです。
とても苦しい時は、こうやって、色んな場所に行けば、苦しんでいる人に出会うことが、できます。
そうすれば、ああ、自分だけでは、無い、と思えます。
そして、心から、自分だけでは無いと思い、苦しみ、を共有できると思います。
色んな困難があると思いますが、その苦しみは、自分ひとりだけではない、と感じて欲しいと思います。
そして、人生を投げ出す、のでは、なく、その困難にあっても、自分を大切にして、明日に、向かって、一歩で良いので、前に進んで欲しいと思います。
そこには、苦しみと涙の数だけ、横に寄り沿ってくれる誰か、がいます。
あの、僧侶のように。
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