親を子供が介護をするということは親の負債を子供が返すという行為
- cqtc00h
- 3月30日
- 読了時間: 4分
更新日:4月12日
介護生活は人生終わり?
私は、今、介護生活をしている。介護をするようになると、世間では、人生終わりらしい。そんなふうに思われているようだ。
私は、随分と、いろんなことができなくなり、自分のしたいことができない。高齢母は、よく、私に、愚痴を言う。私は、それを延々と聞く。
私の父は、頭が悪いわけではない。けれども、人を使う立場にありながら、人を上手に使えなかった。人に恵まれなかったのである。おそらく、仕事を始め、会社の経営が悪くなった時、経理をしていた人に、裏切られたのだと思う。
私は、まだ、小学校の頃に、家の会話で、その経理の人を陰ながら、褒めていたことを知っていたのです。会社の経営が悪くなった時、両親は、あの人は、結局、悪い人だったね。って言っていたのを知ったのである。それから、多分、人を信じれなくなり、孤高の人になってしまったのだろう。いや、そういう性質だったと思う。
あまり、言いたくないけれども、親や親戚には、良いことを言い。実は、あまり、家計状況は良くなかった。だから、母は、とても、倹約家である。そうしなければ、生きていけなかった。とても、苦労をしている。
父は、金銭感覚は、若い時は、無くて、いつも、仕立て屋が来て、舶来製の布地で、オーダーメイドのスーツを何着も買い、ピカピカの格好をしていた。だから、見かけだけは、よかった。けれども、やはり、経営は上手くなかった。だから、そう、家にお金はない。節約をしなければ、ならない老年期になり、ちまちました生活をしていた。
けれども、今は、仮入所した施設が、とても、気に入り、そのまま、楽だからここにいる、と言ったのである。父は、アルツハイマー型認知症だし、この頃は、その症状より、老化現象が激しいらしい。
高齢母は、施設入所をしていたけれども、今の貯蓄と、年金で、二人も、施設に入れないのであった。優先順位から言っても、母より父は、入所した方が良いと専門家からアドバイスを受けたのである。だから、私は、高齢母と一緒に生活して介護をしています。
食の細かった高齢母でしたが、家庭料理のおいしさで、90代でありながら、体重は、増えたのである。かなり、体の状態も、良くなりました。高齢母と同居しても、私は、自分の食費やいろんなものは、自分で払っている。高齢母からは、お礼なんてお金をもらったことはない。
先日、食事に誘ったら、お金を出してくれたけれども、そういうことは、滅多にない。私は、母の通院に、バスに乗り、往復すると、500円掛かる。これを月に何回もしていると、意外に出費がかかる。私は、この10年間、いろんな病院付き添いをしたが、電車代やバス、何ももらわなかった。食事も、ご馳走されたことはない。だから、一時期、交通費をもらうようにしたけれども、それを弟は、私のことを、ケチだとなじった。もう、どうでもよくって、もう、交通費も、もうもらっていない。
ただ、自分の時間と、自分のお金を使って、介護している。結局のところ、父が残していった矛盾、つまり、負債を、私が、自分の時間と、自分の労力を、介護に、充てているのである。
高齢母も、私を自分の子供だから、わざわざ労いの言葉なんて無い。家庭料理に、色々、注文をつけるようになった。
私は、いじめられっ子だった。私は、言い返すことが、できない。黙って、じっと耐えることをする。だから、幼少期から、お金をせびられたり、陰湿ないじめに遭っていた。こんな性格だから、私は、高齢母にも、何も、言えないし、何を言ったら、良いのかも、わからない。自分で、バカだなぁ。って思う。毎日、従順に、奉仕する。
矛盾は、父が作ったのである。
私は、この老後資金のない両親の負債をコツコツ返している。自分の人生という、時間を自分らしく、生きれない。高齢母が、長寿なのは、嬉しいけれども、自分の時間は、残り少ない。旅行に行くことも、ままならなくなるまで、介護は、続くんだろうか?
私は、親の負債を返すために、介護しているのである。
お金のない、老後は、周りまで、不幸になる。私は、自分の時は、そうならないように、負の連鎖を断ち切るために、頑張っています。
Comentários