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介護保険は頼れない時代|老後不安An era when you can’t rely on long-term care insurance | Anxiety about retirem

日本の今の高齢者は、まだ高い年金をもらっています。しかし、これは、属性が会社員だったり、公務員だったりする。

私の両親は、自営業者であり、そんな高いお給料でもなかったので、最低金額ほどの年金しかもらえない。だから、ある意味では、私の世代がどのような生活になるのか、両親の生活ぶりを見ると、わかるのです。

老後は、お金がないと、家族が不満を言うようになる。

みんな公平なら良いけれども、実際には、近くにいる人が面倒をみるようになる。

だから、年金を銀行から出したくても、実際に行けるはずもないので、こんな小さなことまで、やらないといけない。

介護保険は、使用料金がますます上がり続けている。

数年前に親を亡くした親類が、通院ぐらい、外注してヘルパーさんに頼めばいいよ、って簡単に言う。しかし、以前は、無料だった通院付き添いも、今では、実費負担になり、1時間3,000円する。

重い病気を持っている母は、総合病院で何時間もかかる。そんなの外注すれば、何万円もする。両親とも、いろんな病院に行っていて、これは、私がすべてみている。それを、働き盛りだからお世話ができないという、兄弟がいる。

確かにそうだけれども、私は、毎週、通院付き添いをしている。

私の周りは、それを知っている。しかし、兄弟は、知らない。自分がとても疲れたので、電話で通院付き添いを頼んだ。

その時、私のことを心配して、いろんな言葉が、飛び交った。そうして、兄弟は、不和になった。

別に、私は、勝手に好きでしているので、良いんだ、って答えた。

兄弟のお嫁さんと娘に、通院の付き添いしてもらった。

しかし、彼女たちは、両親のカレンダーに書かれた通院スケジュールを見て、変な顔をしていた、って母から聞いた。

父は、認知症で、中期です。でも、一日中寝ているから、足腰は、弱るけれども、歩き回らないから、良いのです。両親とも、手押し車がないと、歩けない。だから、とても大変です。

けれども、私が、兄弟とうまくいかないことは、知っている。

父は、もう認知症で、わからないことが多い。母とは、まだ、いろんな会話ができる。

そんな母は、後継の兄弟に有利な相続遺書を書いているから、なおさら、私に遠慮がちになる。

別に、私は、したいようにしているから、って言う。

何かで読んだけれども、高齢になると、生きていること自体が、周りに迷惑をかけている、から、なおさら、遠慮がちになる。そんな文章を今でも思い出す。

私は、できることをしているけれども、これを金銭にすれば、かなりの金額になるだろう。けれども、人には、その分相応の役割がある。

これは、確か、故松下幸之助の言葉がかすかに、思い出される。

だから、自分のできることをすることが、これは大事で、両親にいろんなことができることは、非常に幸せで、これは、思い出になると感じている。

人と比較するのではなく、自分が置かれた立場で、最良の事柄をすることが、後悔のない、生き方だと感じます。

この頃は、なんでも遠慮がちになる両親です。

人生の終着点に行くにも、自分でできないことが、多くなるから、やっぱり「迷惑をかけている」って感じる老人は、多いだろう。

不動産を通じて思うことは、この頃は、孤独死が多い、ってことです。亡くなってから、何日もなってから、発見されるケースが多い。その老人は、どうやって、社会との接点を持っていたのだろう?

ここに、最近の日本における核家族になってくことと、個人主義の歪みを感じる。

日々、弱る高齢者に、日本の社会保障は、冷たい。

高齢者は、今まで、厚遇されてきた。

しかし、これから、高齢者になる、私たちは、不遇の時代を迎える。

両親の世話をしながら、自分の老後は、誰にも多分頼れない、と覚悟をしながら、毎年送られる年金定期便を見て、自分の年金が両親より、少ない現実を受け止めている。

これから、高齢になる人々は、不遇の時代をどう生きるのだろう。

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