日本の家庭教育「質素倹約」の精神
従来の日本の家庭教育は、かなりの部分で、専業主婦という、家庭の要とされて、いました。よって、古来、日本人が勉学ができるのは、家庭にいつも教育をする場がありました。
日本が、出産により、一時的に労働できなくなった女性を家庭におくことにより、細部にわたり、教育をする場がありました。よって、子供は、大人の生活に学び、伝統文化に、行事を通じて、知ることも、多いものでした。
行事により、親戚つきあいなどで、多くの文化を学び、これを大切にする心を育みました。
また、学習は、家庭によって、形成され、専業主婦の家庭が、日本の勤勉で努力家の子供を多く輩出できる環境にありました。
だから、日本の専業主婦は、日本の底地力を養う、つまり、多角的に人間として、成長を促す人材でもありました。
しかしながら、日本は、人口減少に伴い、専業主婦としての、社会的地位を剥奪し誰もが働くことを推奨しています。
なぜなら、日本の警察は、以前は「専業主婦」という立場を理解しておりましたが、今は、専業主婦を「無職」と呼ぶようになりました。このような社会背景があり、今では、家庭教育は、外注されることが多くなりました。
確かに、男女の区別やこの背景にある、女性の社会進出を考える時に、これは性別によって、このような不平等をなくすことは、非常に大切なことです。
けれども、核家族化により、家族の団欒時間は減り、時間に追われ、十分な育児をできない、という問題が発生します。
これは、女性の生き方にも関連するもので、男性もこの育児に関わっていく必要性があります。
まだ、今の日本の企業には、この性差を超えて、雇用する企業や、固定観念に囚われて、女性が男性より有能なのに、女性が男性を優先させて、企業を辞めることもある、との話を企業トップの方が、お話しされていたことも、思い出されます。
日本では、古来、男性が稼ぎ、女性は、内向きであったことから、このような事象が生まれていると思われます。
さて、これは、今でも、賃金格差があり、なかなか、男女差は解消されませんが、労働力が、高齢化によって、急激に失われていく、社会において、男女平等に働くことを政府は、子育て支援とか、いろんなことをしています。
しかしながら、今の日本は、賃金が上がるどころか、税負担が非常に重いです。
普通、会社が税金を納めているので、分からない部分も多かったのですが、一般家庭であるごく普通の家庭でも、森林緑化政策税金なんていうものがあることを知り、非常に驚いています。
これは、年間で100,000円ほど払うことになります。こんな名目で税金が取られているなんてことは、何も知りませんでした。
ただでさえ、多くもない、年金やお給料から、このような名目の税金まで引かれていることには、非常に驚きを隠せませんでした。
このように、日本は、重税であり、いくら稼いでも、なかなか、お金はたまりません。
ですが、日本は、質素倹約の精神があります。これは、日本は、資源が乏しい島国であり、長い歴史の中で何度も飢餓や災害を経験してきました。こうした厳しい環境の中で、人々は生き抜くために質素倹約を身につける必要がありました。
また、仏教や神道でも、日本の伝統的な宗教には、物質的な豊かさよりも心の豊かさを重んじる思想が根付いています。
禅の世界もこのように展開しており、またよく「無常」という言葉が日本の宗教にも出てきます。これは、常(いつも)は、無い、という言葉であり、これは、人生の儚さを言い伝える言葉であります。
このような言葉は、「無」であることは、怖くはない。という、通念になります。
よって、物資に塗れた世界は、俗世であり、本物の精神には、欲深く無い心、が必要となります。
このことは、節約より、厳しい、倹約となり、自ら、自制心を要求するものです。
このように、無闇に欲しいものが手に入ることは、俗世であります。
精神を研ぎ澄ますには、この俗世から、抜け出し、無の境地に至ることが必要になります。
このことは、長い日本の不況を乗り越えた世代は、この精神を強く持っています。
だから、彼らは、良いものを厳選し、便利さより、空間や時間を大切にするようになりました。これは、自然と、日本人が習得しているものであり、長きにわたる不況のなか、苦しんだ世代は、このような精神が強く持っています。
これは、学校教育や家庭教育において、質素倹約の精神が教えられてきた背景もあるでしょう。
だから、いくら、地震が起こっても、店のものを強奪するとか、このような事態にはなりません。
日本人は、「無」の中から、生きているのです。だから、小さな幸せで、満足しますし、お金に塗れた盛大なパーティより、家庭団欒が好きです。
このことは、簡単ではありませんが、お金で買えるものは、簡単であり、お金で買えないものに、大きな価値観を持っているのです。
質素であるには、物欲をなくすことでもあります。
そうすれば、自然に生活は、安定します。
このことは、日本国民が、大きなお金を世界の中で、あることを示しています。
決して収入がそうさせるのではなく、精神がそうさせるのです。
このように、日本人は、ものを厳選するので、自然と、日本製品は、品質が良くなります。
だから、今、海外製品が多くなりましたが、その中でも、いまだに、レトロな日本製品は、若い人から、人気があります。
このように、日本人に使ってもらうには、かなりの努力と信頼が必要です。このことが、日本製品が、世界に通用される製品になる原理です。
だから、世界のトップは、禅に憧れるのでしょう。
この禅は、心を磨く修行になるからです。
日本の教育は、変わりつつありますが、このような形で、受け継がれた「質素倹約」の精神は、失われた三十年といわれる経済不況であっても、さらにこの困難を乗り越えるために、「質素倹約」を実行し、この精神は、さらに日本人を磨き上げたでしょう。
窮地に落ちることは、堕落することではなく、日本は、「質素倹約」の精神がこのような心を持ち、そうして、ものを無闇に持つことをしません。
これは、若い人に顕著です。このように物質に塗れず、精神を磨くことは、非常に、時間を有意義に過ごすことができるものです。
家庭教育から、このように日本人の気質は、「質素倹約」に通じています。
このことは、今の自分を肯定することになり、素直な日本人が浮かび上がると思います。
物質では、なく、心で満たされた精神は、素晴らしい効果があります。
これは、経験しなければ、分からないと、思います。
まとめ
今回は、日本の精神「質素倹約」がもたらす効果と、その精神は、どう繋がっているのか、分かりやすく書いてみました。
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