認知症は死に至る病気だと知る
私は、父がアルツハイマー型認知症と告げられた時に、医師からパンフレットをいただいた。そこには、認知症は、最期は、死に至るという事実を知った。意外に知られていない。
通院はバスと徒歩
私は、父の手押し車で歩いている横で、一緒に歩調を合わせて歩く。
以前は、日傘とか、使っていたけれども、手を空けないと、なかなかお世話ができないので、帽子をかぶるようになった。
いつも、家から出ないので、たまに出かけると、初めは嫌がったけれども、お買い物に行こうと勧めると、スーパーに行くのが楽しいようで、いろんなものを買う。
店内は、やはり、迷うので、私がサポートしていろんな売り場に足を向けると、とても喜ぶ。
そうして、買い物した商品を私は、リュックに詰めて、背負う。そうして、ボツボツ歩いていく。
外で食事をしたい父
そうして、コーヒー専門店で、ランチを食べたい、って言う。
でも、周りからは、生活苦のように思われるようで、注文したサンドイッチは出てくるけれども、コーヒーはこない。そうして、お店の人に、コーヒーを注文しようとすると、「高いですよ…」って言われた。
冴えない格好で、二人で、歩いているように、周りから、見られているのが、分った。
頭髪を整えに散髪
ある日、通院の帰りに、散髪屋に行って、髪を切った。五分刈り、にしてもらった。お店の人は、「五分刈り、初めてですか?」って尋ねた。私は、そうです。って答えた。
父は、あまり、話さなくなっている。時々、単語のような簡単な言葉で、話す程度です。
そうして、初めての五分刈りにして、ヒゲと、顔剃り、眉もカットしてもらった。こざっぱりして、よかったけれども、なんか、少し、恥ずかしいそうでした。
なかなか、高齢になれば、ディサービスのサービスで、散髪することが多いけれども、外で、こうやって、小綺麗にしてもらいました。
以前とは全く違う姿
表情も、どこか穏やかで、口少なくなった父は、何かしら、悟りを知った仏そのもののような風貌になりました。
家では、寝てばかりだけれども、その姿も、どこか憎めない姿になった。
あれほど、自由奔放に生きた父が、こうも、変わるとは、想像もできない。
認知症になった父は、忘れて、記憶がなくなって、生きていく感覚もなくなって、死への、恐怖も、忘れ、そうやって、じんわり、一歩ずつ、確実に、死に向かう姿は、生き仏そのものだ。
こんな姿になるなんて、誰が想像しただろう。
Commentaires