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熊本城の横にある加藤神社Kato Shrine next to Kumamoto Castle

熊本城に行こうとするとまず、加藤神社がある。主祭神は、加藤清正です。

この加藤神社は、加藤清正(1562年-1611年)。今の名古屋市中村区の出身です。27歳にて肥後の国(今の熊本県)に入り、50歳で亡くなるのまで、色んな事業をしました。

日本三大名城の一つである熊本城を造ったり、熊本県の土木、治水工事や干拓して農業ができるようにしたり、植林、街道作りなどインフラ整備、貿易振興、産業の奨励保護、学問の推奨、文化の開拓、宗教保護、など多岐に渡り功績を上げました。熊本県人に今も、親しみを持って、「清正公さん(せいしょこうさん)」と二重の尊敬を込めてと呼ばれています。お祭りも行われており、今も、熊本県人に愛されています。

(日本三大名城は、大阪城、名古屋城、熊本城です。)

加藤清正公が旗を立てたとされる、石が境内にあります。1909年、名古屋城よりここに移されています。

加藤清正のお手植えの樹。

この銀杏の樹は、1601年より1607年の築城の際、大天守前の銀杏の樹と共に加藤清正がお手植えされたものと伝えられています。加藤清正は、武道の柳生新陰流兵法を取得しています。この柳生新陰流は、徳川家康が学んだ武道で、これを取得することによって、日本全国を制覇したとされる武道です。

この武術は、密かに、続いています。私の主人がこれを学びたくて、柳生新陰流を愛知県まで、通いました。剣術としては、なかなか素晴らしいのですが、広く一般に広まることは、ありませんでした。この柳生新陰流は、秘法なのです。ですから、このお手植えの樹は、柳生新陰流を習った人にとっては、親しみを感じる樹なのです。

加藤清正公は、今も、親しまれて、このようにお祭りが行われています。

私が行ったお日柄が良かったようで、ここで、結婚式が行われていました。神社で行われる、結婚式は、神式と呼ばれ、榊(さかき)を神に捧げて、婚礼の約束を誓います。

ここに咲く桜は、醍醐の桜と呼ばれています。醍醐の桜とは、加藤清正の生涯の師である豊臣秀吉が1597年に「醍醐の花見」をしたことで有名な京都総本山醍醐寺の桜の子孫で、樹齢約160年と言われています。「太閤枝垂れ桜」をクローン技術で、現代に甦らせた桜です。

2016年4月に起こった熊本地震の鎮魂と復興を祈るため、醍醐寺を中心に全国の醍醐派修験者が多く集まり、100丁の法螺貝(ホウニナカイ、螺旋状の貝)を立てて、みんなで祈りました。その際に植えれれたのが、「醍醐の桜」です。この桜は、小さくて、存在感は、まだありません。

熊本城の中に入る前にこの加藤神社がありますので、ぜひ参拝してくださいね。

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