1423〜1502年、村田珠光(ムラタシュコウ)。
奈良称名寺(ショウミョウジ)の僧侶になり、のちに京都に住む。
大徳寺(ダイトクジ)の一休(イッキュウ、僧侶、1394〜1481年)に教えを求め、「禅、ゼン」の味を加えた「茶湯、チャノユ」を始めた人物です。
この人物は、「ワビ茶、ワビチャ」の祖先と言われています。
この「ワビ茶、ワビチャ」とは、粗末なお茶、とされ、「草庵茶、ソウアンチャ」と呼ばれました。
その「ワビ茶、ワビチャ」は、お茶の世界に大きな変化を起こし、料理も大きく変わりました。
竹野紹鴎(タケノジョウオウ)1502〜1555年、から千利休(センノリキュウ)1522〜1592年、によって「ワビ茶、ワビチャ」は、完成されました。
この長い歳月をかけて、「ワビ茶、ワビチャ」は完成されました。
この不完全なお茶を煮立て、その不完全な「美」、「心から」、煮立て、成り立たせたものです。
それは、禅宗、つまり、座禅を持って、取得されるものとされる。
それと共に、発展したのが、精進料理でした。
それは、一汁三菜(イチジュウサンサイ)、ご飯、汁物、野菜の料理、といった粗末なものから、ともに発展しました。
その精進料理も、気品のある器に盛ることによって、「懐石料理、カイセキリョウリ」に発展しました。
そこには、極限に削ぎ落とされた中に、日本の四季(春、夏、秋、冬)に応じて、移ろいゆく、季節を器に「心から」盛り付けられました。
このように京料理は、発展しました。
粗末なお茶を「ワビ茶、ワビチャ」として、少ない中から「美」を見つけ、粗末な食事から、つまり少ないものから「美」を見つけ、「懐石料理、カイセキリョウリ」に発展しました。
そこには、禅宗の精神性を見いだす、大切さ、が発見できます。
禅宗は、その精神性を忘れずに、それを発展させることにより、少ないものの中から、「美」を見つけたのです。
何度も言いますが、「ワビ茶、ワビチャ」、「懐石料理、カイセキリョウリ」は、決して恵まれたものではなく、少ないものの中から、「美」を見つけたものです。
ですから、これは、精神性が、重視されます。
無いと思えば、それで、終わり、です。
無いからこそ、精神を磨いて、その恵まれない中でも、完成された、ものができるのです。
そこには、あふれる程の恵まれた環境では、できないものが、あります。
精神と物の豊かさは、反比例する、そんな「美」が、この日本の中にあります。
「禅」と「ワビ茶、ワビチャ」、「懐石料理、カイセキリョウリ」の「美」を今回は、書いてみました。
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