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著作権とゲームと自分らしさ。Copyright, games and personality.

日本の著作権は、世界に比べ格段に厳しい。今回は、その代表である、「楽曲」について書いてみようと思います。日本のピアノ教室で、色んな障害が出ています。著作権の問題で、好きな曲が練習できない、問題です。これは、色んなところで聞きます。多分、これから、流行の曲を学校の文化祭等で、演奏するのは、難しくなる。全くとは、言わないけれども、これは、容易にできない。著作権は、難しい問題です。

2022年に音楽の先生が、お金を払えば、少し、音楽教室でも、新しい歌が、使えるようになった。しかし、音楽は、私たちには、遠い存在であり、決して、口ずさんで歌わない。

よく、この頃は、自分の作った歌を街頭で、歌っている若者を見ます。歌をうたうのが、好きな人は、こうやって、自分が、スカウトされることを願いながら、街頭で、歌う。

素人の人の歌を歌う「のど自慢」という番組があるが、これは、年配が主流である。長寿番組だけれども、ここに出てくる若者は、テレビに出ることを記念にしたり、プロになりたい人が出る。しかし、これは、公共放送から、逸脱しているから、この頃は、慎重で、上手い人はなかなか出てこない。

そうして、半ば、お笑いを取るための娯楽番組です。決して、上手いから出るのではない。こんな感じで、若い人は、街頭で、盛んに自分の作った曲を歌っている。

日本は、世界でも、著作権が、厳しい。「楽曲」について言えば、YouTubeに自分で演奏しても、それは収益にならない。「楽曲」を作った人に収益が行く。その曲をダンスしてYouTubeにアップしてもそれは、「楽曲」を作った人に収益が行く。そんなルールがある。日本人は、単一民族国家だし、そんなことに反論しない。大手の音楽教室でさえ、訴訟沙汰になる。だから、関わりたく無いのです。

そんな感じだから、それが、普通だと、割り切っている。老人は、著作権なんて切れた古い歌だし、そんな著作権の厳しい時代では無かったので、コーラスとか、まだ老人ホームなどでしています。けれども、今、日本の若者は、確実に歌を歌わない。

一時流行った「カラオケルーム」は、少人数の集会所になり、誰も歌わない。だから、日本は、歌唱力のある歌手は、人気がない。ダンスのできる歌が流行する。ダンスは、スポーツのように受け入れられている。時に、声を加工しても、関係無い。楽しいダンスができれば、それは、スポーツの代わりになるからです。

だから、この頃は、学校のクラブで、合唱なんて無くなった。代わりに、ダンスクラブが良くある。けれども、それは、その「楽曲」を使えば、違反になるから、創作ダンスです。そうやって、「楽曲」は、見て聴くだけになっている。ダンスという、新しい「スポーツ」ができたのです。

時々、それを真似する人がいる。それは、ファッションです。舞台衣装は、きらびやかですし、とても、美しい。けれども、全く同じではないし、それらをアレンジして着こなす。だから、東京に「原宿ファッション」とか、色んなところで、「個性的なファッション」が出現し、それは、世界的に有名になり、色んなファッション関係者が取材にやってくる。舞台衣装は参考にはする。

けれども、人々は、「楽曲」には、著作権というものがあり、それは強大なことを知っているから、同じにはしない。人々は、順応するから、これからも、自分らしさを、出す為に、勉強する。これは、一見不幸に見えるかも、しれない。けれども、それらは、個性を発揮することを覚える。だから、何も無い、一般の人から、個性を発信する機会が増えると思う。裾野が広くなれば、それは、大きなちからになる。

だから、これからも、著作権を主張することは、多分自ら首を絞めている、ことです。でも、それで、生活をしている人々もいるから、強くは言えないけれども、それは、長期的視線で見れば、「楽曲」のように、音楽番組は、衰退している。こんなふうに、色んな規制は、世の中を変えて行く。人々は、それに、順応していくから、これから、色んなもの、ことが、多様化し、テレビが、世の中の流行を作るとか、もうそんな時代ではないようです。

エンターテイメントとして、これからますます発展するのは、私は、ゲームだと思う。何故なら、自分が簡単に主役になれる。そうして、交流もできる。そういう流れを作ったのは、著作権を主張した人々が、その流れを加速しているのです。


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