第二次世界大戦は、日本に多くの犠牲者を出しました。
日本は、世界で唯一の被曝国です。1945年の8月6日に広島に原爆が、投下され、その上に、長崎も同年、8月9日に原爆が投下されました。
灼熱の中、多くの犠牲者が出てから今年、2020年は、75年目になります。
毎年、黙とうが、捧げられ、ここ日本では、犠牲者を心から、悼み、世界平和を祈ります。
日本では、8月15日が、終戦記念日とされる。
これは、昭和天皇のお言葉により終戦を告げられました。
そのラジオ放送のあった日です。
しかし、世界は、国によって終戦日が、違います。
一番遅いのは、ロシアの9月3日です。
このタイムラグについて、書いていこうと思います。
私は、ひっそりとした映画館で、「樺太1945年夏 氷雪の門」を観ました。
ずいぶんと前のことです。この映画は、放送禁止になっています。
だから、多くの人は、知らない。
樺太とは、今のサハリン島のことで、8月15日、昭和天皇が、終戦を告げました。
ラジオ放送を聞いた樺太の住民が、武器も捨て、何も持たない住民が、次々とその当時のソ連軍(現ロシア)によって殺害されていくのです。
その日付8月20日。
それを電話交換手が、取り次いでいく。話です。
武力も、日本は、持たないから、そのまま、殺害される。
それは、残酷なもので、女性は、死ぬ前、死体であっても、残酷なことをされるのである。
だから、真岡町の上陸を開始したことを知った真岡郵便電信局の電話交換手の女性達は、青酸カリで、自ら死を選んだ、という話です。
だから、日本は、8月15日が終戦記念日だけど、その国によって違う。
つまり、武力を捨てた後も、攻撃され、多くの人命と領土を失った事実があります。
けれど、敗戦国は、それを語ることさえ、できない。
ソ連軍は、北海道さえ、狙っていた、と語る人がいる。
人間は、それが正当であると指導者が言えば、バイアスがかかると何でもする。
究極に残酷になれる。
だから、日本の国民は、このことを、もう一度、振り返って、考えることが、必要です。
日本では、決して教えられない、歴史こそ、真実があります。
いくら、世界平和を願っても、人間は、残酷な存在で、自己中心的です。
核廃絶だって、いくら願っても、それをやめる国は無く、逆に増えている。
戦後、75年経ってこのような有り様だから、これは、実現しない。
お互いに脅すことは、最も重要なことだと思う。
武力が無ければ、「樺太」のようになる。
樺太1945年夏 氷雪の門の少女像は、北海道稚内市、稚内公園に9人の少女像があります。
そこには、彼女達の最後のことば、「みなさんこれが最後です。さようなら。さようなら。」と刻まれています。
この記事は、Wikipedia より引用されて、作られました。
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