高齢化社会における持続可能な暮らしの解決策
日本は、医療技術が平等に受けられる皆保険制度がある。
だから、日本人の寿命は、戦後を経験している高齢者でも、いともたやすく、90歳を超え、100歳人口は、増え続けている。
2024年9月1日時点での厚生労働省の発表では、100歳を迎えた方(見込みを含む)の人数は、約 47,888人でした。
今後、幼少期から、栄養を充分に与えられた世代が多くなることは、非常にこの高齢化社会がさらに進むと私は、感じるのである。
この頃、よく言われていることは、第一次ベビーブームで産まれた団塊世代が、大量に後期高齢者(これは、日本では、75歳以上と定義されています)になり、医療や福祉に大きな影響が及ぶとされています。
団塊世代は、戦後、日本の急成長を支えた世代で、とても、日本に貢献した世代である。
だから、団塊世代の子供は、団塊ジュニアと言われ、このジュニア世代は、多くの消費を促し、いろんな方面で、企業のターゲットになり、いろんな製品がヒットしたのである。
しかしながら、この団塊ジュニアが、成人になるときは、バブルは、弾け、就職氷河期であった。
正社員どころか、勤める先がなかった。
なので、のちに、派遣社員という制度ができて、非正規でも、ある程度、働ける環境になったのである。
団塊世代は、自身は、普通の経済的体力は、あると思われるが、子供は、経済的余裕がない場合が、かなり、多発している。
よって、子供は、当てにできないどころか、親に、パラサイトという造語ができるほど、経済的余裕がなく、親の家に住んで、経済的自立をしていないことが多いのである。
私は、そのような家庭を、よく見かける。
おそらく、親の年金を当てにして、介護をするかもしれない。
そうして、遺産があれば、相続して、親の家に住んで、行くだろうと思われる。
介護医療は、逼迫すると言われているけれども、子供が職業がないので、意外に、この社会的歪みは、無難に行き、問題にならず、家庭における介護が進み、介護施設は、余るのではないか、と私は、考えるのであります。
私も、90代の両親は、元気です。けれども、周りは、本当に大変です。
いつまで、続くか分からない中で、親の寿命と貯蓄額を計算して、何歳までなら、大丈夫とか、こうなれば、アウトとか、いろんな試算をしました。
両親揃って、施設入所などすれば、100歳を超えることを考えると、なかなか、決断できませんでした。
だから、父は、とても施設が気に入ったようなので、入所したが、母は、在宅介護である。
ペット問題もあり、ここら辺は、もう割り切るしかなかった。
年々上がる介護保険料だから、大いに使ったほうが良いが、良い使い方とあまり効率的ではない、使い方がある。手すりなど、いったん業者につけられると、一つの手すりだけに、毎月300円ほどかかる。
実家がバリアーフリーでないので、多くの手すりを必要としたが、私たちは、兄弟がつけることで、この多額の課金を逃れたのである。
しかし、家族にそういう人がいなく、大工などに、請負でやると、問題になるらしい。
これは、非常に矛盾がある。経済的に助けるための介護保険が、利用者に毎月の支払いを負わせるものだからです。
業者は、ケアマネージャーを取り込んで、あれやこれやと、売り込むのです。
これは、改善をしてほしい点です。
次に、在宅のホームヘルパーを利用しています。
けれども、料理などは、個人差があり、先日来たヘルパーさんの作ったものは、何も食べられなかった、のです。
高齢者は、基本的に、減塩と細かく切った食べやすい料理を好みます。
減塩どころか、焼き肉のタレで、大雑把に切られた大ぶりの野菜に、お肉、など、作って帰った。なので、とても困ったのです。
ヘルパーさんは、1割負担でかなりお得ですが、その力量によって、かなりの差がある。
派遣すれば、良いというものではない。
介護のお弁当は、とっては、みたけれども、美味しくなかったので、ヘルパーさんに週1回来てもらっています。
週2回を勧めれたけれども、本人がいなければ、サービスは受けれない。
週2回のディサービスと週1回のヘルパーさんを頼めば、あとは、週4日しか残っていない。
私は、付き添っているので、その間にたくさんの書類の処理もあるし、いろんな個人的事情もある。なかなか、自分の時間もできない。
結局のところ、家庭力、だと思うのである。
母には、持病があり、そのことにより、医師から、栄養剤が処方されているけれども、施設に入れば、これは、不要とされる。
だから、栄養剤が無い処方となってしまう。
私は、実家に住まいを移して介護しているのは、長寿のペット問題もあるけれども、このような事情がある。
母は、私たちを産むために、輸血をして、持病を持ってしまったのです。
だから、私は、母は、医師から、長生きはできない、って度々、異口同音に、宣言されていることを知っている。
大抵の患者は、心を取り乱すようだが、母は、医師に向かって、もう、友達もずいぶん亡くなりましたし、私も長生きしましたし、もう、ここら辺で、満足です。と、数々の医師に、伝えたようだった。
入院していた時は、宣言した医師は、毎日母のところに行き、たわいの無い会話を楽しんだ様だった。
医師も心がある。次々と、患者を診て、辛い宣告をした時、心が、掻き乱されるのではと感じる。
日本の医師は、世界的にもお給料も少なく、待遇も、あまり良くない。
でも、日本で培われた心は、人の命を救うことであって、お金の多寡で、決まるものではない、と感じて、使命感を持って仕事に励んでいる方は、多い。
だから、この皆保険制度が、保たれ、そうして、この高齢化社会を支えている。
私は、人間として、日本人の多くの医師を、尊敬します。
結局のところ、これも、家庭力と通ずるものであり、要するに、人間力なのである。
日本は、人間力によって、この問題を解決するでしょう。
人間力とは、大雑把で難しいけれども、やはり、思いやりや道徳から発展したものでしょう。
だから、金銭の多寡で、解決できることも多いけれども、人間力で解決したことには、心があります。
結局のところ、心があることが人生の締めくくりには、必要で、これは、その人がどのような人生を送ったことで、心のある残りの人生を歩むのか、それとも、空虚な残りの人生を送るのか、が決まるような感じを私は、感じています。
日本には、「情けは人のためならず」この諺は、他人に親切にしたり、良いことをすると、それが巡り巡って自分に良い影響をもたらす、という意味です。
つまり、良い行いをする人の姿を見て、育つ道徳心を持つ人が、集まってきて、そういう人に最後は、囲まれる、っていうことだと、私は、感じています。
これは、人生の後半に分かってくることです。
自分の周りを見渡して、今一度、考えてみましょう。
良い行いは、自分の心も清々しくなり、他人から見ても、好感を持つものです。
まとめ
まずは、「一日一善」。
毎日を清々しく生きましょう。
そうして、人間力を高めていきましょう。
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