不幸と幸せは、混じって存在する。Unhappiness and happiness are mixed.

人々に「悩み事」はある。多分、悩み事のない人はいない。その中で、一番、悩ましいのは、対人関係です。そんな時、皆さまは、どうやって心を整理するだろう。

多分、多くは、不満と共に、つい口に出して、グチを言うこともある。そんな苦しい時にどうしたら、良いか?というのが、今回のテーマ。

そう、そんなあなたは、「幸せ」なのです。心配する相手がいることは、「幸せ」である。何故なら、その存在が、いなくなれば、心が、空虚になるから。

私は、歳上の人が大好きで良くお話する。色んな人生のことを語ってくださる。人は、やはり、人と繋がってこそ、人生に彩りがつく。その先輩方は、アドバイスをくださる。

「後から、後悔するから、いっぱい「幸せ」を噛みしめなさい。」と言われた。車椅子の母と、悪性の癌の父がいる。「心配する相手のいる幸せ」を噛みしめて、毎日送っている。そんな「幸せ」もある。

後から、きっと、今の自分は、「幸せ」で、そんな両親でも、命のあることを「幸せ」に思っている。

良く私は、人に言われる言葉がある。「あなたって、曲がって考えないのね。」そう言って、騙されたこともある。けれども、私は、不器用だけど、それで、「幸せ」だと感じている。

何故なら、過去に、私に悪いことをした人々は、私を遠くから見て近くに来れない。やはり、誰にでも、「罪悪感」は、ある。私は、その罪悪感を感じたことはない。

何故なら、人を騙したり、イジメ返ししたり、しない。それは、鈍感な私は、分からないのもある。けれども、それで良いと思う。

人には、色んな苦労とかある。大きいほど、それは、口に出さない。だから、自分らしく、生きれば良い。

心配事や悩み事は、「悩める幸せ」なのです。これは、今は分からない。けれども、将来、振り返って今の自分を見た時に、「幸せ」をそこに、「発見」できる。

今ある「幸せ」は、見つけられる人は、少ない。

人は、時に贅沢になる。他人が、「幸せ」に見えるからです。

けれども、それは、違う。他人は、良く見える。

だから、自分を良く見つめてみると、そこには、「隠れた幸せ」があることを発見できる。そんな「幸せ」を探すことは、人生を「幸せ」に生きるヒントだと感じる。

不幸の中に「幸せ」は、混じって存在している。そんな「幸せ」を探すことが、「幸せ」になることを皆さまに知って欲しいと思い、今回は、人生を「幸せ」になる心について書いてみました。

People have “worries”. Perhaps no one is trouble free. The most troublesome of these is interpersonal relationships. In such a case, how do you organize your mind?

Perhaps many, with dissatisfaction, just swear and croak. What should I do in such a difficult time? That is the theme of this time.

Yes, you are “happy”. Having someone to worry about is “happiness.” Because if its existence disappears, the mind will be empty.

I love older people and talk a lot. He talks about various life. After all, people can add color to their lives only by connecting with them. The seniors give me some advice.

“I will regret it later, so please chew a lot of” happiness “. Was said. She has a mother in a wheelchair and a father with malignant cancer. She chews on “the happiness of someone who is worried” and sends it every day. There is also such “happiness”.

Later, I’m sure that I am “happy” now, and even such parents think that they have a life.

Often I have words that people say. “You don’t think it’s bent.” I was fooled by saying that. But I’m clumsy, but I feel “happy”.

Because people who have done bad things to me in the past can’t come close to me when they see me from a distance. After all, everyone has a “guilt feeling”. I have never felt that guilty.

Because it doesn’t deceive or bully people. It’s insensitive, I don’t know. But I think that’s fine.

People have various hardships. The bigger it is, the less it is said. Therefore, you should live as you are.

Anxiety and worries are “happiness to worry”. I don’t know this now. However, in the future, when I look back and look at myself now, I can “discover” “happiness” there.

Few people can find the existing “happiness”.

People sometimes become extravagant. Because others look “happy”.

But that’s not the case. Others look good.

So, if you look closely at yourself, you can discover that there is “hidden happiness” there. I feel that searching for such “happiness” is a hint to live life in “happiness”.

“Happiness” exists in a mixture of misfortunes. I want everyone to know that searching for such “happiness” will make you “happy”, so this time I wrote about the heart that makes life “happy”.

「哲学」とは、人を幸せにする学問。”Philosophy” is a discipline that makes people happy.

「哲学」とは、物事を根本原理から統一的に把握、理解する学問です。

どこかで、スイスは、「哲学」が、必須だと聞いたことがある。

「哲学」なんて、自分には、関係無い、なんて思って居る、人も多いと思うけれども、これは、誤解です。

「投資家」や「経営者」には、「哲学」は、必須、だから。

随分と前に、「ダスキン」の本社前を歩いていた。

「ダスキン」は、掃除の会社の会社でもあり、ドーナツの会社でもあります。

身近な本社を見れる、会社だったので、印象に残っています。

会社の中だけではなく、会社の廻りもいつも掃除していました。

ですから、ダスキンの本社には、入ったことは、無いけれども、そこには、奉仕、ホウシ、の心が、感じられました。

奉仕、ホウシ、とは、献身的に、国家、社会に尽くすことです。

献身的、とは、自分を犠牲ににしてでも、他の為に尽くすことです。

日本には、こんな言葉があります。

「情け(ナサケ)は、人のためならず、ナサケハヒトノタメナラズ」

これは、思いやりは、他の人の為にするのではなく、めぐりめぐって自分のところに良いことが来る、という言葉です。

だから、このように、会社が、人を雇用している時間を社会奉仕に当てていたのです。

そして、会社には、哲学があります。

それは、社会に奉仕することは、会社に置き換えてみれば、製品やサービスのことです。

ですから、他の人を思いやることは、サービスや製品をより良いものを提供することによって、その人々は、幸せになり、それが、めぐりめぐって、会社の発展に繋がる、というものです。

これが、会社の基本原理です。

これは、「哲学」の入口でもあり、出口でもあります。

これをどう運営するのかは、その企業風土にもよりますが、より良い社会に奉仕、ホウシ、することが、最も重要である、ということです。

もし、それがうまくいかない時は、もう一度、考える、ことが、必要です。

そこには、時代背景や、その時の運もあるので、絶対とは、言えませんが、これは、時代を超えて、普遍の事実でもあります。

個人においても、これは、当てはまることで、国家、グローバルにおいても、当てはまることです。

「哲学」は、道徳が無ければ、できないことです。

他者(他の人)を自分に置き換えて、どうやって、人を幸せに、できるのか、考えることが、自分にとっても、相手にとっても、最も必要なことです。

人として、何ができるのか、真剣に考えるとそこには、真実が見えます。

時に、利害関係があり、衝突することもあると、思います。

ですが、悪いことをすれば、やはり、これはめぐりめぐって、自分に悪いことが起こります。

これは、金銭的問題ではなく、信用(クレジット)が無くなります。

これは、金銭が、無いより、最も悪いことです。

何故なら、この信用(クレジット)を失うことは、誰にも、信じられない、ことです。

ですから、道徳を学び、「哲学」を理解すれば、自ずと、目の前が、開ける、と感じています。

悪い人に騙されることもあると思います。

ですが、悪い人には、悪い人しか、集まって来なくなります。

良い人には、良い人が、集まってきます。

だから、「情けは人の為ならず、ナサケハヒトノタメナラズ」。

これを貫くのは、とても、行きづらい世の中です。

ですが、そんな簡単では、無いからこそ、そこにたどり着くと、良い人たちにめぐりめぐって、囲まれていると思います。

自分だけではなく、思いやる心を、持ち続ける、強さ、を培ってください。

今回は、「哲学」から、社会のあり方を、書きました。

“Philosophy” is the study of grasping and understanding things from the fundamental principle in a unified manner.

Somewhere, Switzerland has heard that “philosophy” is essential.

I think there are many people who think that “philosophy” has nothing to do with me, but this is a misunderstanding.

“Philosophy” is indispensable for “investors” and “managers”.

A long time ago, I was walking in front of the headquarters of “Duskin”.

“Duskin” is both a cleaning company and a donut company.

I was impressed because it was a company where you can see the familiar head office.

I was always cleaning not only inside the company but also around the company.

So, although I’ve never been to Duskin’s headquarters, I could feel the spirit of service and houshi.

Service, houshi, is devoted to the nation and society.

Devoted means doing something else, even at the expense of yourself.

There is such a word in Japan.

“Pity (Nasake) is not good for people, Nasake no Ontamenarazu”

This is a word that compassion is not for other people, but for good things to go around. is.

That’s why the company devoted its time hiring people to social service in this way.

And the company has a philosophy.

That is, serving society is, in terms of a company, a product or service.

So, caring for others is that by providing better services and products, they become happy, which in turn leads to the development of the company.

This is the basic principle of the company.

This is both the entrance and the exit of “philosophy”.

How this is managed depends on the corporate culture, but it is of utmost importance to serve and be a better society.

If that doesn’t work, you need to think again.

It cannot be said to be absolute because of the background of the times and the luck of that time, but this is also a timeless and universal fact.

This is true for individuals as well as nationally and globally.

“Philosophy” is something that cannot be done without morality.

It is most necessary for you and the other person to think about how you can make others happy by replacing others (others) with yourself.

When you think seriously about what you can do as a person, you can see the truth there.

At times, I think there are interests and conflicts.

However, if you do something wrong, it will go around and something bad will happen to you.

This is not a financial issue, you lose credit.

This is the worst thing with no money.

Because losing this credit is unbelievable to anyone.

Therefore, I feel that if you learn morals and understand “philosophy”, you will naturally be able to open your eyes.

I think you can be fooled by bad people.

However, only bad people will come to the bad people.

Good people gather for good people.

Therefore, “Pity is not for people, Nasake no Ontamenarazu”.

It is a very difficult world to go through this.

However, because it is not that easy, I think that when you get there, you will be surrounded by good people.

Cultivate not only yourself but also the strength to maintain a compassionate heart.

This time, I wrote about the ideal way of society from “philosophy”.

あなたは、ひとりぼっちではない。You are not alone.

あるお寺に行った。そこは、病気を治すと言われる仏様がある。

そこに祈りを捧げている人を良く見る。

この現代において、病気が、祈りによって治るなんて、信じる人は、少なくなった。

科学が、発達して、そこには、理路整然(リロセイゼン)とした、論理があり、検証がある。

だから、人は、宗教を信じる人は、ずいぶんと、減ったそうです。

だから、日本のお墓も少なくなって来ています。

もちろん、人口が、減ったこともあるけれど、それ以上にお墓は、なくなって来ています。

合同葬と言って、共同墓地とか、日本は、火葬といって、火で焼いた遺骨を粉にして、散骨といって、生前の「遺言」によって、その場所に骨の粉をばらまく。ほんの少し、だけど。

そうやって、宗教から、少し、距離をおいている。

けれども、やはり、人は、何かに、すがりたい程、苦しい、時がある。

こんな現代でも。

前述のあるお寺に少しお年のいった夫婦が、数珠を手に、一生懸命、お経を唱え、お祈り、しています。

それぞれ仏様の前で、お祈りしています。

とても、心から、何かを、お願いしているようでした。

その横に、僧侶が、無言で、あゆみより、数珠を持ち、一緒に拝み(オガミ)ました。

心から、伝わるものが、あったのでしょう。

私は、このシーンを心から深く印象に残っています。

違うところでも、ずーっと手を合わせ、動かない、人もいます。

人は、誰でも、苦しみを持っています。

これは、こんなところに行けば、良く見るシーンです。

人は、本当の苦しみは、言えません。

苦しくて、これは、口から吐き出すこともできずに、飲み込んでしまいます。

自分より、苦しい人なんて、いないと思うかもしれません。

ですが、そうではありません。

多くを語る事なく、人は、なんらかの「苦しみ」を持っています。

だから、幸せだと見える人でも、それは、苦しみをたくさん持っています。

人は、苦しみをたくさん持っているだけ、「明るく」なります。

それらを隠そうとするから、です。

それを「口に出して言えない」から、カモフラージュをします。

日本のことばにこう言うことばがあります。「となりの芝生は、あおい」。人は、自分より、幸せに見える、のです。

だけど、今、尚(ナオ)、祈り、をする人は、後を断ちません。

これは、とても、苦しい人が、居る、ということです。

とても苦しい時は、こうやって、色んな場所に行けば、苦しんでいる人に出会うことが、できます。

そうすれば、ああ、自分だけでは、無い、と思えます。

そして、心から、自分だけでは無いと思い、苦しみ、を共有できると思います。

色んな困難があると思いますが、その苦しみは、自分ひとりだけではない、と感じて欲しいと思います。

そして、人生を投げ出す、のでは、なく、その困難にあっても、自分を大切にして、明日に、向かって、一歩で良いので、前に進んで欲しいと思います。

そこには、苦しみと涙の数だけ、横に寄り沿ってくれる誰か、がいます。

あの、僧侶のように。

I went to a temple.

There is a Buddha who is said to cure illness.

I often see people praying there.

In this modern age, few believe that illness can be cured by prayer.

Science has evolved, and there is logic and verification that is coherent.

Therefore, it seems that the number of people who believe in religion has decreased considerably.

Therefore, the number of Japanese graves is decreasing.

Of course, the population has decreased, but more than that, the graves are disappearing.

In the case of a joint burial, a communal graveyard, or in Japan, a cremation is called cremation, and the ashes burned on fire are crushed into powder.

Just a little, though. That way, I’m a little far from religion.

However, after all, there are times when people are so painful that they want to cling to something.

Even in such a modern age.

A couple who are a little older at the temple mentioned above are praying and chanting sutras with beads in their hands.

We pray in front of each Buddha.

It seemed that I was asking for something from the bottom of my heart.

Next to that, the priest silently held beads from Ayumi and worshiped with him (Ogami).

There must have been something that could be conveyed from the bottom of my heart.

I am deeply impressed with this scene.

Even in different places, there are people who keep their hands together and do not move.

Everyone has suffering.

This is a scene that you often see if you go to such a place.

One cannot say the true suffering.

It’s painful and it swallows without being able to spit it out of the mouth.

You may think that no one is more painful than you.

But that’s not the case.

Without saying much, one has some kind of “suffering.” So even those who look happy have a lot of suffering.

A person becomes “brighter” as he has a lot of suffering.

Because they try to hide them.

I camouflage it because I can’t say it.

There is a word in Japanese that says this. “The lawn next door is blue.” People look happier than they are.

But now, those who pray, Nao, will not refuse.

This means that there are some very painful people.

When you are in a very difficult time, you can meet people who are suffering by going to various places like this.

Then, oh, I don’t think I’m alone.

And from the bottom of my heart, I think I can share my suffering, not just myself.

I think there are various difficulties, but I want you to feel that you are not the only one suffering.

And instead of throwing out my life, I want you to take good care of yourself and move forward tomorrow, even if you are in trouble.

There is someone there who will stand by as many as the number of sufferings and tears.

Like a monk.

「刀狩り」と銃、日本的伝統から学んで欲しいこと。I want you to learn from “katanagari, sword hunting”, guns, and Japanese tradition.

米国で、簡単に「銃」が、手に入る。

だから、犯罪が多くなる。

ここでは、「銃社会」について、触れよう。

日本には、かつての「銃」にあたる、「日本刀」があった。

ですが、これは、「刀狩り」によって、完全に排除できた、のです。

ここには、日本の「忠誠心、チュウセイシン」がある。

忠誠、チュウセイとは、まごごろ。

まことマコト、尽くす心です。

まこと、マコトとは、人に対して、嘘をついて、騙さないことです。

このような心が、侍、サムライにあったから、できました。

米国は、他民族国家で、多く移民を受け入れている。

だから、優秀な人材も集まってくるし、色んな思想や人々が暮らす。

だから、その思想を統一するのは、なかなか難しい、ことかも、しれません。

このコロナウイルスの緊急事態でも、まず初めに売れたのは、「銃」だった。

「マスク」をすれば、暴力を振るわれ、街に居ることもできなかった、のです。

これは、おかしい。

自分の事を放り出して、相手の欠点を攻撃するのです。

今、ソーシャルディスタンスで、みんな自宅で過ごすことが多い。

こんな時だからこそ、「道徳」を学び、人を思いやる、心を育てて欲しい。

人を疑うと、かぎり無い。

人は、完璧じゃないから、自分と違う所もある。

その「違い」を学んで、欲しい、と思う。

互いに、「違い」が、分かれば、「誤解」も解ける。

やがて、そんな、凶器、「銃」なんて持たない社会になって欲しい。

「銃」は、「自分を守る」ものではない。

それは、「相手を攻撃する」ものであることを、知るべき、です。

銃は、バーチャルの世界「ゲーム」だけ、で良い。

そんな「ゲーム」も、やはり、年齢制限は、必要だと、感じる。

幼い頃に、「銃のゲーム」をすることは、「擦り込み」を起こす。

決して、「銃で、幸せになれない」ことだけは、確かです。

「銃」を使って生き残っても、それは、周りが、「警戒」するから、です。

「銃社会」は、お互いが、不幸になり、消耗することを、学んで欲しい。

そして、銃のない社会が、訪れますように。

It’s easy to get a “gun” in the United States.

Therefore, there are many crimes.

Here, let’s touch on the “gun society”.

In Japan, there was a “Japanese sword,” which was once a “gun.” However, this could be completely eliminated by “sword hunting”.

Here is Japan’s “Loyalty, Chuuseishin”.

Loyalty and Chusei are all about. Makoto Makoto, I will do my best.

Makoto is to lie and not deceive people.

This kind of heart was created because the samurai, Samurai, had this kind of heart.

The United States is a multi-ethnic country and accepts many immigrants.

Therefore, excellent human resources also gather, and various ideas and people live.

Therefore, it may be quite difficult to unify the idea.

Even in this coronavirus emergency, the first thing that sold was a “gun.”

If you put on a “mask”, you would be violent and couldn’t even stay in the city.

This is strange.

Throw yourself away and attack your opponent’s shortcomings.

Nowadays, everyone spends most of their time at home because of their social distance.

It is at such times that I want you to learn “morality”, be considerate of others, and nurture your heart.

If you doubt a person, there is no limit.

People are not perfect, so there are some differences from them.

I want you to learn the “difference”.

If we can understand the “difference” from each other, we can solve the “misunderstanding”.

Eventually, I want a society that does not have such weapons and “guns.” A “gun” is not something that “protects you.”

You should know that it is something that “attacks your opponent.”

The gun only needs to be a virtual world “game”.

I feel that age restrictions are necessary for such “games” as well.

Playing a “gun game” at an early age causes “rubbing”.

It is certain that you can never be happy with a gun.

Even if you survive with a “gun”, it is because the people around you are “alert”.

I want the “gun society” to learn that each other becomes unhappy and exhausted.

And may a society without guns come.

本来、宗教は「幸せ」になるためにあるもの。Originally, religion exists to be “happy”.

宗教とは、人の心を救う為の教え、です。

日本に一般的に広まっている、仏教の教えには、「和」があります。

これは、みんなと繋がって幸せになる、教え、です。

イスラエルには、エルサレムという都市が有って、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地があります。

このイスラエルとアラブ首長国連邦が、国交を正常化したとのニュースがありました。

それを後押ししたのが、米国のトランプ大統領です。

ですが、色んな反発があるようです。

本来、幸せになるための教えがどうして、このようになるのか、哀しい。

多分、「神」は、色んな「教え」を色んな形で、残して、「人間」を試しているんだと思う。

宗教を巡る戦争もあった。

その歴史は、非常に残酷で、多分、みんな「神」に試され、「地獄」に落ちている。

この地方は、オイルも有るから、複雑な歴史がある。

だから、コロナウイルスが、「人間」の「欲」を取り去る為に、経済を疲弊させて、「オイルマネー」を止めたように映る。

「欲」は、限りない。

「聖地」を巡って、争いが起こる。

「救われる」教えが、「地獄」に落ちるのです。

争いをして、命を落とした人間が、救われるはずが、無いのです。

もう、亡くなった日本画家の平山郁夫氏がいます。

彼は、奈良の薬師寺に壁画を残しています。

多分、奪ったり、されないように「壁画」にしたのだと思う。

シルクロードの「大唐西域壁画」(ダイトウサイイキヘキガ)と名付けられています。

普段、この「壁画」は、公開されていない。

これを完成披露された時に、私は、観に行きました。

シルクロードが、描かれています。

その壁画の印象は、強烈でした。

私は、空の「蒼」(アオ)が、何とも言えない程、印象に残っています。

まっ青の青空が、夜空に紛れて、とても綺麗なのです。

そこには、平山郁夫氏の「平和」への「祈り」が、込められています。

もう、今はターリバンによって、破壊された「バーミヤン像」が、描かれています。

その壁画を描いた時に、既になかった。

その「バーミヤン像」が、描かれています。

だから、一歩づつで、良いから「平和」になって欲しい。

宗教もそうだけど、人間だって、人種があります。

だから、お互い、違いを認めて「平和」になって、「幸せ」になって欲しい。

その一歩が、始まったのだと、思う。

イランというお国は、反発している。

そのイランは、日本のドラマ、「おしん」が大好き、だと知った。

とても、苦労しているのだと思う。

これ以上、苦労することは、無い。

同じ「人間」だから。

誰にだって、「幸せ」になる権利はある。

一度、日本からの「平和」の祈り、平山郁夫氏の壁画をみんなで、観ていただきたいと心から願います。

Yakushiji Temple

Religion is a teaching to save people’s hearts.

Buddhist teachings that are widespread in Japan include “wa.”

This is a teaching that connects you and makes you happy.

In Israel, there is a city called Jerusalem, and there are sacred sites of Judaism, Islam and Christianity.

There was news that Israel and the United Arab Emirates normalized diplomatic relations.

It was backed by President Trump of the United States.

However, there seems to be various repulsions.

Originally, I am sad about why the teaching to be happy is like this.

Probably, “God” leaves various “teachings” in various forms and tries “humans”.

There was also a war over religion.

Its history is so cruel, maybe everyone is tested by “God” and falls into “hell”.

The region has a complex history as it also has oil.

Therefore, it seems that the coronavirus has exhausted the economy and stopped the “oil money” in order to get rid of the “human” “greed”.

There is no limit to “greed”.

There is a dispute over the “sacred place”.

The teaching of “saved” falls into “hell”.

There is no way that humans who have lost their lives by fighting should be saved.

There is already a dead Japanese painter, Ikuo Hirayama.

He left a mural at Yakushiji Temple in Nara.

I think I made it a “mural” so that it would not be robbed or taken.

It is named the “Datang Western Region Mural” on the Silk Road (Daitosai Ikihega).

Normally, this “mural painting” is not open to the public.

I went to see this when it was shown off.

The Silk Road is drawn.

The impression of the mural was intense.

I am so impressed with the blue “blue” of the sky.

The pure blue sky is very beautiful as it is mingled with the night sky.

There is a prayer of Ikuo Hirayama for “peace”.

The “Bamiyan statue” destroyed by the Taliban is now drawn.

When I painted the mural, it wasn’t there already.

The “Bamiyan statue” is drawn.

Therefore, I want you to be “peaceful” because you are good at each step.

Like religion, human beings also have race.

Therefore, I want each of us to recognize the difference and become “peaceful” and “happy”.

I think that step has begun.

The country of Iran is repulsive.

I learned that Iran loves Japanese drama “Oshin”.

I think you are having a hard time.

There is nothing more difficult to do.

Because it is the same “human”.

Everyone has the right to be “happy.”

I sincerely hope that everyone can once see the “Peace” prayer from Japan and Ikuo Hirayama’s mural.