サラリーマンの給料が上がらなくても生活できる日本は幸せなのか?Is Japan happy to live without raising the salary of office workers?

日本は、世界中が金利をあげる中、未だ金利をあげずにいる。先日、黒田日銀総裁が、「金利をあげるつもりは全くない」と発言したことは、記憶に新しい。

確かに、世界中が食糧不足や物不足により、生活費が上昇しています。しかし多くの人々は給料が上がらない。先日書いたけれども、大企業の統計では、この夏のボーナスは、増えるところが多い。日本は海外生産をしているけれども、重要な製品は国内で生産されている。だから為替で儲けている大企業も存在する。そうして景気の良い業種と悪い業種に別れる。2022年.日本のインフレの対処法と賃金.2022. How to deal with inflation in Japan and wages.

だから、これは、根本的には、貧富の差、つまり二極化になる。けれども先日お伝えしたけれども、日本は、憲法によって、福祉が充実しているから、ある程度大胆に政策を行える下地があります。生活をサポートする社会制度があるからです。三重県松下幸之助が通った椿大神社のスピリチュアルと教育勅語から感じる日本Japan felt from the spiritual and Imperial Rescript on Education of Tsubaki Grand Shrine, where Konosuke Matsushita of Mie Prefecture attended

だから、サラリーマンが多くの収入を得ても、大きく税金も上がる。こんな社会制度がある。それに相続税も大きく増えたから、代々資産は残せない。私の知人にも、相続税を払えず、家屋敷を売る人は多い。と言っても、そんな人ばかりではない。私の知人には、早期退職制度で退職を余儀なくされ、再就職できれば、良い方で再就職できない人もいる。それなりのお給料をもらっていたので、非常に苦しい。そんな人もみている。

日本人は相対的に個人で大きな資産を持つことができない。相続税が非常に高いです。そのため、ストックができない仕組みだからです。大体、三代でこの資産がリセットされて行くのが現実です。だから、本当の富裕層なんて日本では、ほんの一握りしかいない。個人で資産を築いてもしっかり税務署が、相続で持っていく。だから、そんなに「あの人、お金持ち」だと思っていても、死ぬ時には税務署が持っていくから、そんな感じでみんな平均的になるような社会制度です。

この頃思うのは、自分が死ぬまでのお金さえあれば、それ以上は要らないなって思う。事実、両親は高齢で外出できるところは限られていて、食欲もその年齢なりに落ちていくから、そんな消費はしない。自宅で、介護保険を使いながら、なんとか生活している。もう、お金を使うところもない。生活費と老後の蓄えがあれば良いのです。この老後の蓄えは、非常にネックになる老後20,000,000円問題とか言われている。これをどうするか非常に問題になっています。

日本には、世代間格差というのがある。年金は、徐々に減っていく。しかし、今の若い世代は、政府が若い今のうちにたくさん補助しているから、これで相殺している。子供を産んで働こうとすると保育費は30年前の値段より、今は安い。羨ましいが、これは高齢化社会で女性も働かないと人材不足で困るからです。

この「必要な人材」とは、機械やデジタル社会が普及する中で、単純作業のする需要は、少なくなり、雇用にギャップが出ている。事実、私の知人の解雇された人々は、単純な事務作業や営業マンだったりする。厳しい時代だな、って思う。

日本では、お金がなくてもそれなりに生活できる社会制度があるから、社会は安定していると感じることが多くなりました。こんな社会制度は、国民がやる気を無くす気がするけれども、それなりに良いところもあるので、私はコメントを残すことは控えます。海外の方はどう思うか聞いてみたい質問です。

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三重県松下幸之助が通った椿大神社のスピリチュアルと教育勅語から感じる日本Japan felt from the spiritual and Imperial Rescript on Education of Tsubaki Grand Shrine, where Konosuke Matsushita of Mie Prefecture attended

庚龍神社/Kanoeryu Shrine

翻訳機能がこのサイトはあります。日本語以外は、これをお使いください。This site has a translation function. Please use this except for Japanese.

まずは、椿大神社のほど近くにある、庚龍神社(かのえりゅう)祭ってあるのは、金龍龍神、白龍龍神、黒龍龍神。この龍神社は、樹齢400年と伝えられるもみの木を神社としました。1980年(庚申)5月御社殿が鎮座され、その年の干支により、この神社の名前を庚龍神と命名されました。その後、老朽化が進み新社殿が2004年(申申)3月奉献され鎮座しました。

椿大神社は、伊勢国一の宮、猿田彦大本宮です。

主祭神 猿田彦大神(さるたひこおおがみ)

相殿神 皇孫 瓊々杵々姫命(にしぎのみこと)

御母 栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)

前座 行満大明神(ぎょうまんだいみょうじん)

この神社は、高山入道ケ嶽(がく)/奥の宮、短山椿嶽(がく)/大日山を天然の社とした猿田彦大神が、安住地であった太古の盤座から御船盤座に移り、その時以来、神社の境内を大霊場として人々を守り導かれる国土を守護する猿田彦大本宮です。

創建は、第11代、垂仁天皇御代27年8月(紀元前3年)、倭姫命のご神託により、道別(御みちびき)の社とされました。全国の猿田彦大神の総本宮です。猿田彦大神(別名、椿大神)は、天皇陛下の御先祖の瓊々杵尊が地上に君臨されるにあたり、天の迷いやすいところまでお迎いに上がられ、「みちびきの祖神(御先祖の神)」と奉られる国土を守護する祖先祖の神で、色んな苦難を取り払う御先祖の神です。

神の功徳は、この地上で生きるために必要な衣食住をはじめ、家を守り、祓い清めて安心して住むことのできる生活の導きも、すべて椿大明神、猿田彦大神が守って下さるからです。「この地にわれ(天孫)の天降りしは、ことごとく皆巷の神(猿田彦大神)との幽契(目に見えない神仏との約束)に基づくものなり」(古語拾遺より)

このようなことが書かれていました。

獅子堂/Shishido

ここで人気のあるのは、なんと言っても交通安全のお祓いです。ブルーの自動車が見えます。これは、お祓いを待っています。自動車を神主が実際に自動車の扉開けたりしてボデイにお祓いをします。近くに鈴鹿サーキットもあり、車好きの集まるこの椿 大神社は、大人気です。

カエル/Frog

お金がカエル、とか言ってご利益があります。

断りの鳥居/Torii of refusal

江戸中期(1700年ごろ)、神戸城主本多候が、椿大神社の御神木を伐採して城を築いたところ、1年後に一夜にして城が消失してその神威を怖がり奉納した鳥居。

狛犬/Guardian dog
恵比寿、大黒/Ebisu, Daikoku

恵比寿は、商売繁盛。大黒は、お金持ちになる縁起の良い神様。

椿大神社本殿/Tsubaki Grand Shrine main shrine

ここで色んなお願いが叶いますように。

鉄砲柱/Gun pillar

これは、お相撲さんが、手をついて練習する柱です。奉納者は、千葉県松戸市佐渡ケ嶽(がく)部屋 佐渡ケ嶽(がく)満宗親方(元琴ノ若関。

社務所/Office

ご祈祷をしていただけます。神様にお祈りしていただけます。

さざれ石/Sazareishi

国歌に出てくるさざれ石です。磨き上げたさざれ石は、初めてここで見ました。

かなえ滝/Kanae Waterfall
椿岸神社/Tsubakigishi Shrine

この社の主祭神天之鈿命は、天の岩所開きの神話の中でご活躍された神様と知られ、天孫(天照大神の御孫)瓊々杵尊が日本の国土に天から降りたまう時、共に神様としてうけたまわる。天孫一行を天の迷いやすいところに出迎えた国土を守護する神、猿田彦大神(椿大神社の主祭神)と共に、宮崎県の高千穂峯に導いて我が国の国を開き始め、その基礎を築かれた神様です。

その後、猿田彦大臣と夫婦になり、それぞれにこの伊勢国、鈴鹿椿ケ嶽(がく)高山、短山、(短山国見岳、高山入道ケ嶽(がく)、短山椿嶽(大日山))の霊地にお帰りになり、猿田彦大神の妻の神、椿岸大明神として、鎮祭、つまり神様を鎮め固めるための祭儀をして、今に至っています。鎮魂の神、芸道の祖先である神としてその神の働きは、ずっと輝き、芸能や茶道、華道、書道などあらゆる技を取得してますます良くなったり、縁結び、夫婦円満を守り導き、神様の通力による不思議なしるしご利益があり、昔から信仰されています。「椿岸神社縁起」によれば、この別宮を猿田彦大神の祀る(まつる)「上椿社」、こちらは「下椿社」と呼ばれています。垂仁天皇の御代27年(紀元前3年)に「上椿社」「下椿社」に奉られた延喜式(えんぎしき、平安時代前期(800年ごろ)、醍醐天皇朝の年号)の古社です。

秋の例大祭には、上椿社から神輿(しんこし、神様を2本の長柄で肩に担いで乗せる乗り物)が出て、猿田彦大神がお出ましになる、「神幸祭」があり、鈿女本宮に旅をして、翌日には行幸啓(ぎょうこうけい)つまりは、帰ること。「還幸祭」が行われます。

このような祭が今も行われています。

古事記や日本書紀には、よく天皇の家系などに言及があります。私は、非常に皇族が現存し、続いていることに驚きを隠せません。一年に一回会えるのは、日本の七夕まつりのようで、なんとも言えないロマンチックな感じがします。

扇塚/ Ougizuka

儀式、舞などに用いる扇は、昔から神を招待して献上するものとして芸道を志す者の心のよりどころとされて、一つづつ芸を磨く過程は必携のものであります。芸の道に終わりが無いように、扇に感謝と慰霊を込めてこの扇塚は建てられました。芸の道にご精進されます人たち、常に新たな気分で芸の修行、稽古に頑張って、古くなった扇は感謝を込めてこのところに納め、新しい扇にて芸道の祖先である神、天之鈿女命のさらなる末広の上達を願ってください。

このような一文が添えられ、そこには、色んな著名な方の名前も刻まれていました。扇とは、芸に必要なものであることに初めて気付かされたものです。

松下幸之助社/Konosuke Matsushita

私は、松下幸之助、パナソニックの創始者に関する本をよく読みました。電球から始まった会社は、今や世界的に知られる会社になり、今やテスラの電気自動車の燃料電池を供給しています。

松下幸之助社の横に茶室、鈴松庵があります。茶亭とそれを眺める日本庭園は、松下幸之助が寄付しました。石碑があり日付けは、1975年元旦になっています。

二宮金次郎像/Statue of Kinjiro Ninomiya

この二宮金次郎像は、1870年代に椿尋常小学校(現在、椿小学校)から寄贈されました。経年劣化により、ここに安置し奉られました。新しい二宮金次郎像が小学校に建てられました。

教育勅語碑/Imperial Rescript on Education

ここには、教育勅語が書かれています。

勅語の12徳

孝行 子は親に孝養(孝行して親を養うこと)をつくしましょう

友愛 兄弟、姉妹は仲良くしましょう

夫婦の和 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう

朋友の信 友だちはお互いに信じ合ってつき合いましょう

謙遜 自分の言動をつつしみましょう

博愛 広くすべての人に愛の手をさしのべましょう

修学習業 勉学にはげみ職業を身につけましょう

智能啓発 智徳(知ること)を養い才能を伸ばしましょう

徳器成就 人格の向上につとめましょう

公益世務 広く世の人々や社会の為になる仕事にはげみましょう

遵法 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう

義勇 正しい勇気をもってお国のために真心をつくしましょう

明治維新により文明開花の名のもとに欧化思想が全盛を極めるあまり、自国の学問をないがしろにして、西洋偏重の教育の実情にご憂慮された明治天皇は、1890年10月30日「教育に関する勅語」をお示しになりました。

この勅語は、我が国の建国の由来と、歴史に顕れた国柄の美しい特色を述べ、これを教育の根源とすることを宣明した上で、国民の誰もが心がけ実行しなければならない12の徳目を掲げて、祖先からの教訓として、歴史的に国際的にも普遍的な道徳であることを簡潔な(表現が簡単で要領を得ていること)名文で示されています。

そのように、教育の基本的指針、国民の人格形成の規範として、大切な役割を果たしてまいりましたが、1945年の敗戦による日本民主化政策の美名の下に、教育の現場でその内容が取り上げられることはほとんどなくなりました。

戦後、早や65年が経過した今日、物質的豊かさの反面、戦後教育の荒廃は憂えるものがあり、多くの社会問題を抱え、道徳教育の必要性が論じらております。

今こそ、勅語に込められている意義を再認識し、伝統教育の良さを発展させ、実践することの大切さを願い、ここに本年教育勅語出て120周年を迎えるにあたり記念の石碑を建立しました。

2010年10月30日 伊勢国一宮 椿大神社

教育勅語は、私は、心にしみました。現代においても非常に忘れ去られた何かがあると思っています。道徳のような教育で、自己本位ではなくもっと社会が安定するように、書かれています。

これは、なかなか実行できないことも多いと思います。ですが、この教えは、日本の社会制度の考え方に批准していると思います。何故なら、少子高齢化社会の中で、子供が親を面倒を見ることは、非常に負担が多いです。ですから、社会制度の中で、色んなことを補填していくことが大切だと思うのです。

日本国憲法第3章、第12条には、自由及び権利の保持責任、乱用禁止、利用責任として、こう定められています。この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

このように日本国憲法の第3章の国民の権利及び義務に定められており、これは、非常に道徳のある憲法で、いかに日本の国家が日本国民を道徳的に支え合うことを示している条文です。私は、この日本国憲法の第3章は、非常に心に響くものを感じています。

どんな人であっても、社会を生きていくには教育は大切であり、これを憲法の基本的人権の尊重にも規定されているからです。ですから、色んな人生があっても、勉強を忘れずにいたいです。

日本国憲法第3章第23条には、学問の自由が定められており、学問の自由は、これを保障する。

又、第3章第26条には、教育を受ける権利、義務教育が定められています。すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力におうじて、ひとしく教育を受ける権利を有する。②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を負う。義務教育は、これを無償とする。

日本国憲法は、教育を大事にしています。この憲法第3章は、日本国憲法の大きな柱でもあります。

人は、時に、傲慢になります。自分では、なかなか自分のことはわからないものです。私は、やはり未熟だな、って自分で思うことがあります。だから、もっと、謙虚になることが必要があると、いつも反省しています。満足できない自分がいます。

さざれ石/Sazareishi

この石は、通称「さざれ石」と言われ、岐阜県揖斐郡春日村の産。小石が永年(長い年月)のうちに集結するところの誠にめでたい石である。天皇の大御世のいよいよ栄えることを言葉で祝い、祈り、この石のごとく多くの島で歌われ、後に一部改作され、国歌になった。原歌作者藤原石位左衛門の子孫49代目が、春日村小宮神に定住される。歌人。石聖小林宗一により発見され県指定天然記念物である。

1994年10月吉日 渡辺 義勝

日本には、色んなところにさざれ石があります。蓄積されていく素晴らしさは、このさざれ石の魅力でしょう。積み上げていくことの努力と成果がこのさざれ石に刻まれています。これは、日本人の気質なのかもしれません。

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観光スポット!文学を感じる石山寺とランチを楽しむ旅Tourist attractions! A trip to enjoy lunch with Ishiyama Temple where you can feel the literature

石山寺は、滋賀県大津市にあります。この石山寺は、西国33所観音巡礼の寺です。閻魔(えんま)大王は、悪いことをこらしめる王様です。この苦しみを救うのが観音様です。その救いを求めて観音菩薩のある寺院を定めたのが徳道上人です。その観音様の慈悲の心を求めるのに、日本最古の西国33所観音巡礼があります。この石山寺は、その一つです。この地域は、大阪、京都、和歌山、奈良、兵庫、滋賀、岐阜にあります。西国巡礼は、2018年で、1300年続いています。

石山寺は、13番目の札所です。

Ishiyama Temple is located in Otsu City, Shiga Prefecture. This Ishiyama Temple is a temple of Kannon pilgrimage to 33 places in the West. Enma the Great is the king who does bad things. It is Kannon who saves this suffering. It was Tokudo Shonin who established the temple with the Kannon Bodhisattva in search of that salvation. There is 33 Kannon pilgrimages in the oldest western country in Japan to seek the mercy of Kannon. This Ishiyama temple is one of them. This area is located in Osaka, Kyoto, Wakayama, Nara, Hyogo, Shiga and Gifu. The Western pilgrimage is 2018 and has continued for 1300 years.

Ishiyamaji is the 13th temple.

東大門/Todaimon

東大門は、三間一戸の八脚門(はっきゃくもん)入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺きの建物です。正面の左右に仁王像を安置しています。

現存の門は、1190年の建築と言われていますが、1596-1615年に新築同様の大規模な修理改修がありました。天井下の板カエル股、妻飾りの懸魚(けぎょ)、棟を支える両端に隠れた装飾をしていること。など、慶長期の特徴があります。また、隅を除いて尾垂木(おだるき)(桝組み立てが斜めに突出している材料のこと)がない特徴があります。1906年に国の重要文化財に指定されています。

Todaimon is a three-storied house with an eight-legged gate (Irimoya-zukuri) and a main tile-roofed building. The statues of Nio are enshrined on the left and right of the front.

The existing gate is said to have been built in 1190, but in 1596-1615 there was a major repair and renovation similar to a new construction. The crotch of the board frog under the ceiling, the hanging fish of the wife decoration, and the decoration hidden at both ends that support the ridge. There are characteristics of the Keicho period. In addition, except for the corners, there is no tail tree (a material in which the box assembly protrudes diagonally). It was designated as a national important cultural property in 1906.

金剛力士像/Kongorikishi statue

よく手入れされた庭は、その枝ぶりには、非常に驚かされます。A well-maintained garden is very amazed at its branches.

くぐり岩/Kuguriiwa

ここをくぐると願い事が叶うとされています。

境内は、石山寺という名前の由来になったほどの珍しい石があります。硅灰石からできています。これは、天然記念物に指定されています。

It is said that your wish will come true if you go through here.

In the precincts, there are rare stones that are the origin of the name Ishiyamaji. It is made of silica ash stone. It is designated as a natural memorial.

長い石段を登ります。Climb a long stone staircase.

石山寺多宝塔/Ishiyamaji Tahoto

多宝塔は、下層が、方形、上層が円形の平面に宝形造(ほうぎょうつくり)の屋根を載せた二重の塔です。石山寺多宝塔は、源頼朝(みなもとのよりとも)の建立と伝えられ、1194年「建久五年」と金属や石に刻まれた現存最古の多宝塔です。上層は小さく、軒は緩く長く流れ、上下の均整がとてた美しい姿をしています。また、内部の四天柱には柱絵があり、そこには、創建当初からの仏像や文様を見ることができます。(重要文化財)須弥壇(しゅみだん)の上には快慶(かいけい)作の大日如来坐像(重要文化財)を祀っています。1951年6月、国宝に指定されました。

The Taho Tower is a double tower with a treasure-shaped roof on a flat surface with a square lower layer and a circular upper layer. The Ishiyamaji Tahoto is said to have been built by Minamoto no Yoricho, and is the oldest surviving Tahoto carved in metal and stone in 1194. The upper layer is small, the eaves flow slowly and long, and the top and bottom are well-proportioned and beautiful. In addition, there is a pillar painting on the four heavenly pillars inside, where you can see Buddhist statues and patterns from the beginning. (Important cultural property) On the Sumidan, a sitting statue of Dainichi Nyorai (important cultural property) made by Kakei is enshrined. It was designated as a national treasure in June 1951.

御神木/Mikami tree
石山寺毘沙門堂/Ishiyamaji Bishamondo
石山寺御影堂/Ishiyamaji Mikagedo

ここに弘法大師が祀られていました。774年に香川県に生まれたとされています。とても勉強熱心で、遣唐使で、唐の国にも行ったそうです。四国地方は、温暖で色んな作物が四国内でできるので、非常に恵まれた立地です。ただ一つ、悩みがありました。雨があまり降らないので、弘法大師は、四国に、たくさんのため池を作るように指導しました。そうして、雨水をたくさんためる池を作りました。この池は、近代においては、不要になったので、四国にあった沢山のため池は、現在はありません。このように勉強熱心だった弘法大師が祀られており、この石山寺は、少し違う印象が、広がってきます。それは、文化、文学が感じられたのです。

Kobo Daishi was enshrined here. He is said to have been born in Kagawa prefecture in 774. He was very enthusiastic about studying, was a messenger to Tang, and went to the country of Tang. The Shikoku region is a very blessed location because it is warm and various crops can be produced in Shikoku. There was only one problem. It doesn’t rain much, so Kobo Daishi instructed Shikoku to build a lot of ponds. Then he created a pond to store a lot of rainwater. This pond is no longer needed in modern times, so there are no more ponds in Shikoku now. Kobo Daishi, who was enthusiastic about studying in this way, is enshrined, and this Ishiyamaji has a slightly different impression. It felt culture and literature.

本堂/Main hall

本堂の横には、「源氏の間」がありこれは、国宝に指定されています。Next to the main hall, there is “Genji no Ma”, which is designated as a national treasure.

源氏の間/Between Genji

紫式部が「源氏物語」を執筆するためにこもったとされる。この紫式部がこもったこの部屋は、「石山寺縁起絵巻」の他の場面、他の文献から天皇、皇族、貴族、身分の高い僧侶、などの使用する部屋で、特別待遇の紫式部でした。これは、新しい物語の制作が非常に望まれており、これは、紫式部の任務でした。この部屋は鎌倉時代には、すでに「源氏の間」と呼ばれていました。「源氏の間」の最も古い資料は「石山寺縁起絵巻」です。

It is said that Shikibu was withdrawn to write “Genji Monogatari”. This room filled with this purple ceremonial club was a room used by other scenes of “Ishiyamaji Engi Emaki”, emperors, royal families, aristocrats, high-ranking monks, etc. from other literature, and was a special treatment purple ceremonial club. It was highly desired to create a new story, which was the mission of the Purple Shikibu. This room was already called “Genji no Ma” in the Kamakura era. The oldest material of “Genji no Ma” is “Ishiyamaji Engi Emaki”.

石山寺三十八所権現社本殿/Ishiyamaji 38th place Gongensha main shrine
経蔵/Keizo

経蔵の下には、腰掛け石があります。この岩に座ると安産すると言われています。Below the Keizo, there is a stool stone. It is said that sitting on this rock will give you a safe delivery.

腰掛岩/Sit rock
紫式部供養塔/Purple Shikibu memorial tower
松尾芭蕉の句碑/Matsuo Basho’s monument

松尾芭蕉(1644-1694/11/28)は、この地に訪れ、「源氏の間」を俳句にしました。

「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」夜明け前の紫色の美しさの空と美しいほととぎすの鳴き声を重ね合わせた、非常に美しい俳句ですね。けれども、句碑は、長い年月で、もう、その刻まれた字を読むことはできません。

Basho Matsuo (1644-1694/11/28) visited this place and made “Genji no Ma” a haiku.

“Akebono is still murasaki ni hototogisu” It’s a very beautiful haiku that superimposes the beautiful purple sky before dawn and the beautiful cry of hototogisu. However, the monument has been inscribed for many years and can no longer be read.

めかくし石/Mekakushi stone

目隠しをしてこの石を完全に抱けたら、諸願成就(しょがんじょうじゅ/色んな願い事が叶うこと)と言われています。

It is said that if you blindfold and hold this stone completely, your wishes will be fulfilled (shoganjoju / various wishes will come true).

比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)/Hiramyojin Yogoseki

東大寺の僧侶、老弁僧正(ろうべんそうじょう)(689-773)は、聖武天皇に東大寺の大仏建立に必要な黄金の調達を命じられ、金峯山(きんぷせん)にこもって、金剛蔵王(こんごうざおう)の夢告を受け、この石山に訪れました。するとこの岩の上で、老人が座って釣りをしていて、お告げの場所が、ここであることを老弁僧正に告げました。この老人は、近江の地主でした。その地主を比良明神と呼ばれています。この石は、このことから、「比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)」と呼ばれています。

Roben Sojo (689-773), a priest of Todaiji Temple, was ordered by Emperor Seibu to procure the gold necessary for the construction of the Great Buddha of Todaiji Temple. I visited this Ishiyama after receiving the dream of (Kongo Zaou). Then, on this rock, an old man was sitting and fishing, and he told the old-fashioned monk that the place of the announcement was here. This old man was the landlord of Omi. He calls the landlord Hira Myojin. For this reason, this stone is called “Hira Myojin Yogoseki”.

大黒天/Daikokuten

福をもたらす神様。God who brings good fortune.

茶所/Teahouse

とても、文化や文学の大切さを感じる寺院です。まさに、紫式部がここに居て「源氏物語」を書き綴って居たことは、非常に感激しました。現代においても、色んな人や国によって現代語訳され、また、映画になったり、未だこの物語は世界のベストセラーです。また、弘法大師や松尾芭蕉など、色んな教養のある方のご縁があります。天然記念物の石に囲まれた石山寺は、非常に勾配があり、階段がたくさんあります。ひと息つきながら、時間をかけて、参拝ください。

It is a temple where you can feel the importance of culture and literature. I was very impressed that Murasaki Shikibe was here and wrote the “Genji Monogatari”. Even in modern times, it has been translated into modern languages by various people and countries, and it has become a movie, and this story is still the best seller in the world. In addition, there are connections with various educated people such as Kobo Daishi and Matsuo Basho. Surrounded by natural memorial stones, Ishiyama Temple is very sloping and has many stairs. Please take your time and worship while taking a break.

石山寺には、駐車場(有料)に入るとたくさんのお店があります。そこで、湖舟(こしゅう)に行きました。10:00-17:00,17:00からのナイト時間は予約のみ。休日は特に定めて居ないので、事前に確認は必要です。電話077-537-0127,ミシュラン三つ星料亭で修行した料理人が居ます。ここでは、名物は、しじみ釜飯が有名です。私が、「おすすめは?」と尋ねると、「うな重です」と答えがありました。うな重ではなく、私は、うな丼をオーダーしてみました。ここでの食事は、時間を要します。オーダーしてから、調理するからです。だから、とても美味しいです。うなぎが、炭火で、程よくおこげがあり、香ばしく、それで出来立てですから、非常に美味しくいただきました。お店は時間に余裕を持って来店されることをおすすめします。

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At Ishiyamaji, there are many shops when you enter the parking lot (charged). So I went to Koshu. Reservations only for night hours from 10:00 to 17:00 and 17:00. There are no specific holidays, so confirmation is required in advance. Phone 077-537-0127, Michelin There is a chef who trained at a three-star restaurant. Here, the specialty is Shijimi Kamameshi. When I asked “What do you recommend?”, The answer was “Unaju.” Instead of Unaju, I ordered Unadon. Eating here takes time. After ordering, it will be cooked. So it’s very delicious. The eel was charcoal-fired, had a moderate amount of scent, was fragrant, and was freshly made, so it was very delicious. We recommend that you come to the store with plenty of time.

織田信長の築いた安土城跡は、天主閣ができてからわずか3年の城でした②The site of Azuchi Castle built by Nobunaga Oda was only three years after the castle tower was built ②

二の丸跡/Ninomaru trace

ここは、二の丸御殿跡と織田信長の本廟があります。本廟は、天主跡の西側にあります。重臣、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、1583年1月に年賀の為、3人の僧侶を連れて城に登り、2月には、安土城二の丸の跡に、太刀、烏帽子、直垂などの、遺品を埋葬して、本廟としました。6月2日の一周忌には、織田一族や家臣を集めて法要を盛大にしました。

Here you will find the ruins of the Ninomaru Palace and the main mausoleum of Nobunaga Oda. The main mausoleum is on the west side of the ruins of the heavenly lord. Hidekichi Hashiba (Hidekichi Toyomi), a senior vassal, climbed the castle with three monks for the New Year in January 1583, and in February, at the site of Azuchi Castle Ninomaru, a sword, a crow hat, a straight hanging, etc. The relics were buried and made into the main mausoleum. On the first anniversary of June 2, the Oda clan and vassals were gathered to make the memorial service grand.

本廟/Main mausoleum

ここが安土城本丸御殿の跡です。階段を登ると天主台にいけます。ここは、千畳敷と呼ばれています。それぐらい広い場所で、東西約50m,南北約34mのこの細い敷地は、天主台、本丸帯郭(おびくるわ)、三の丸の石垣で囲まれています。南の方は、展望があります。

1934年と1999年の発掘調査で、東西34m*南北24mの範囲で碁盤目状のに配置された119個の建築基礎石が発見され、約2.18mの間隔で自然礎石の大きな焼けて破損された跡があります。一辺、約36cmの柱跡が残るものもありました。当時の住宅は、柱は、12-18cmの柱を1.97cm間隔で建てる武家屋敷とは、かなり違っており、とても手間暇をかけた豪勢な造りでありました。礎石の配列状況から、中庭を挟んで3棟であったと考えられています。

これは、天皇の住まいである内裏清涼殿(だいりせいりょうでん)に非常に似ていることがわかりました。安土城に天主のすぐ下に清涼殿が建てられたのは、「信長公記」には、天主近くに「一天の主、万乗の主の御座御殿」である「御幸の御間」と呼ばれる建物があり、内に「皇居の間」が、造られたことを記載されています。織田信長の2回にわたる安土城の天皇行幸は実現しませんでした。この本丸御殿は、天皇行幸のために織田信長が用意した行幸御殿だったと言われています。

天皇の偉大さがわかる、逸話ですね。二条城にも、逸話があります。

二条城見どころ実際に行った筆者が簡単に説明します.The highlight of Nijo Castle The author who actually went to explain briefly.

This is the site of the Azuchi Castle Honmaru Palace. You can reach the castle tower by climbing the stairs. This is called Senjojiki. This narrow site, about 50m east-west and about 34m north-south, is surrounded by a castle tower, Honmaru belt, and Sannomaru stone wall. To the south, there is a view.

Excavations in 1934 and 1999 found 119 this building foundation stone, which was arranged in a grid pattern within a range of 34m east-west * 24m north-south, and was severely burned and damaged by a large natural foundation stone at intervals of about 2.18m. There are traces. Some of them had a pillar mark of about 36 cm on one side. The pillars of the house at that time were quite different from the samurai residences where 12-18 cm pillars were built at 1.97 cm intervals, and it was a powerful structure that took a lot of time and effort. From the arrangement of the foundation stones, it is believed that there were three buildings across the courtyard.

It turned out to be very similar to the Emperor’s residence, Uchiura Seiryoden. The Seiryoden was built in Azuchi Castle just below the heavenly lord. There is a building, and it is stated that the “Imperial Palace Room” was built inside. Nobunaga Oda’s two visits to the Emperor of Azuchi Castle were not realized. It is said that this Honmaru palace was the Yukiyuki palace prepared by Nobunaga Oda for the Emperor Yukiyuki.

It’s an anecdote that shows the greatness of the emperor. Nijo Castle also has an anecdote.

本丸/Honmaru
本丸から天主閣への階段/Stairs from Honmaru to Tenshoku

石段を登れば、そこは、天主閣です。If you climb the stone steps, you will find the Tenshoku.

天主閣跡/Remains of the Tenshukaku

安土城の天主閣は、完成して3年後の1582年6月に焼失しています。そうしてそのまま放置されました。1940年に初めて調査されました。その間、358年間何もされませんでした。礎石が、堆積物を退けると、綺麗に残っていました。若干の補強はされましたが、当時のそのままです。

記録から、当時6階建てで、地下1階の当時としては、群を抜く素晴らしい建物でした。ここは、地下1階部分です。しかしその大きさは、この2倍ほどの広さがありました。

この天主閣は、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにある建物にヒケを取らないほどの素晴らしい建物であったと言葉を残しています。高さ33mの木造建築は日本では初めてでした。

内部は、煌びやかで、織田信長の使っていた絵師や狩野永徳の障壁画や装飾がありました。

西洋建築を参考して、八角形の天主閣にしたと言われています。織田信長は、色んな宗教に興味があったようなことが、色んなところで、散見されます。

これは、戦国時代は、命がたくさんなくなり、多くの命が失われたことに、織田信長は、何かを感じて、このような城になったのかもしれません。豪華なお城ですが、これも、時の流れには、逆らえなかったのでしょう。織田信長は、寺を構えました。禅は、無心になることです。織田信長は、宗教から多くのことを学びたかったに、違いありません。

この記事は、パンフレットからの引用があります。

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The main tower of Azuchi Castle was burnt down in June 1582, three years after its completion. Then it was left as it was. It was first investigated in 1940. During that time, nothing was done for 358 years. The foundation stone remained clean when the deposit was rejected. It has been slightly reinforced, but it remains the same as it was at that time.

From the records, it was a 8-story building at that time, and it was an outstanding building for the time on the 1st basement floor. This is the first basement floor. However, its size was about twice as large as this.

According to Jezus missionary Luis Frois, the heavenly palace was such a wonderful building that it wouldn’t sink into a building in Europe. This was the first wooden building with a height of 33m in Japan.

The interior was gorgeous, and there were barrier paintings and decorations by Nobunaga Oda’s painter and Eitoku Kano.

It is said that the hexagonal heavenly palace was made with reference to Western architecture. Nobunaga Oda seems to have been interested in various religions in various places.

This may be because Nobunaga Oda felt something about the fact that many lives were lost and many lives were lost during the Warring States period, and it became such a castle. It’s a gorgeous castle, but it probably couldn’t go against the passage of time. Nobunaga Oda set up a temple. Zen is to be innocent. Nobunaga Oda must have wanted to learn a lot from religion.

This article is taken from a pamplet.

織田信長の築いた安土城跡は、天主閣ができてからわずか3年の城でした①The site of Azuchi Castle built by Nobunaga Oda was only three years after the castle tower was built ①

織田信長が天下統一を目の前にして築いた城。1576年にできた城。標高199mの安土山に作られました。現在は、干拓によって陸地ですが、当時は、お堀の代わりに、琵琶湖の内湖(伊庭内湖、常楽湖)に囲まれていました。南側だけが陸続きでした。

天守閣は、1579年に完成しました。しかし、城主の織田信長は、本能寺の変(京都)1582年6月2日で明智光秀の謀反によって自刃しました。49歳でした。わずか天守閣ができてから3年で城主がなくなり、その後、1582年6月15日には焼失しました。

戦国時代は、激しい戦いが行われました。織田信長(1534/6/23-1582/6/21),豊臣秀吉(1537/3/27-1598/9/18),徳川家康(1543/2/10-1616/6/1)(いずれも、グレゴリオ暦、Wikipediaより)この将軍は、時にこう比べられます。

ホトトギスという綺麗な鳴き声を出す鳥がいます。このホトトギスが泣かないときどうするか?織田信長は、「ホトトギス、鳴かねば殺そうホトトギス」豊臣秀吉は、「ホトトギス、鳴かねば鳴かそうホトトギス」徳川家康は、「ホトトギス、鳴かねば待とうホトトギス」。

この代表的な将軍全員が安土城には縁があります。城主の織田信長はもちろんですが、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の邸宅が、このお城にあり、その跡があります。また、1582年5月20日に徳川家康一行を安土城の江雲寺御殿にて接待しています。このお城は、すぐに焼き払われましたが、それぐらい、非常に素晴らしい威厳のあるお城だったことが、城跡からも伺えます。

A castle built by Nobunaga Oda in front of the unification of the world. A castle built in 1576. It was built on Mt. Azuchi at an altitude of 199m. Currently, it is land due to reclamation, but at that time, it was surrounded by the inner lakes of Lake Biwa (Lake Iba, Lake Joraku) instead of moats. Only the south side was connected to the land.

The castle tower was completed in 1579. However, the lord of the castle, Nobunaga Oda, was self-defeated by the rebellion of Mitsuhide Akechi on June 2, 1582, when the Honnoji Temple changed (Kyoto). He was 49 years old. Three years after the castle tower was built, the castle owner disappeared, and then it was burnt down on June 15, 1582.

During the Warring States period, fierce battles were fought. Nobunaga Oda (1534/6 / 23-1582/6/21), Hideyoshi Toyomi (1537/3 / 27-1598 / 9/18), Ieyasu Tokugawa (1543/2 / 10-16 16/6/1) (all) (From the Gregorio calendar, Wikipedia) This general is sometimes compared like this.

There is a bird called Hototogisu that makes a beautiful cry. What to do when this Hototogisu doesn’t cry? Nobunaga Oda said, “Hototogisu, let’s kill if you don’t ring” Hideyoshi Toyomi says “Hototogisu, let’s ring if you don’t ring” Ieyasu Tokugawa says “Hototogisu, let’s wait if you don’t ring”.

All of these representative generals have a connection to Azuchi Castle. Not to mention the castle owner, Nobunaga Oda, the mansion of Hideyoshi Hashiba (later Hideyoshi Toyomi) is in this castle, and there are traces of it. In addition, on May 20, 1582, Ieyasu Tokugawa was entertained at the Eunji Palace in Azuchi Castle. This castle was burned down immediately, but it can be seen from the ruins of the castle that it was such a wonderful and dignified castle.

この城跡は、低いところは、石垣を残して畑にされていました。人が住んでいましたから、かまどの跡もあります。

The ruins of this castle were used as fields in the lower part, leaving a stone wall. There are traces of bites because people lived there.

かまど跡/Kamado trace

そうして、安土城は、臨済宗京都妙心寺派(京都)の摠見寺(そうけんじ)があります。そこで、御朱印もいただけます。臨済宗は、武道より禅ができました。

Then, Azuchi Castle has the Sokenji Temple of the Rinsai Sect Kyoto Myoshinji School (Kyoto). You can also get a red stamp there. The Rinsai sect was able to do Zen from martial arts.

とてもけわしい安土城です。必ず、杖が必要です!と言われて、この杖を持って杖をつきながら歩きます。だから、体力のあるうちに訪問したいところです!もう、とても疲れました。急な石段があります。

It is a very fragile Azuchi castle. You definitely need a cane! It is said that I will walk with this cane while wearing it. That’s why I want to visit while I’m physically fit! I’m very tired. There is a steep stone staircase.

ここには、二宮金次郎の像もありました。日本のあらゆるところでこの二宮金次郎像はあります。

There was also a statue of Kinjiro Ninomiya here. There are statues of Kinjiro Ninomiya everywhere in Japan.

ここには、「人間50年は、下の仏のと比べても同じで、とても夢、幻のようにはかないこと」を書いてありました。まさに無常の世界です。私は、織田信長は、非常に冷徹で、残酷なように感じていました。事実、史実には、非常に残酷なことが多いです。しかし、このお寺や、このお城の石段を登っていくと、違う人柄が拝見できます。

It was written here that “50 years of human beings is the same as that of the Buddha below, and it is very dreamy and ephemeral.” It’s a truly unchanging world. I felt that Nobunaga Oda was very cold and cruel. In fact, historically, it is often very cruel. However, if you climb this temple or the stone steps of this castle, you will see a different personality.

石の階段は、お墓の石、そうしてこのように、仏様が、いくつも埋められています。お城では、非常に珍しいです。お城は、権力を見せつけるところですが、この安土城は、ちょっと感覚が違いました。

The stone stairs are filled with grave stones, and thus many Buddhas. Very rare in a castle. The castle is a place to show power, but this Azuchi castle has a slightly different feeling.

仏足石/Buddha foot stone

この仏足石は、崩れた石垣から発見されたそうです。これは、お釈迦様の足を表現しています。古代インドでは、信仰の対象になったそうです。日本の一番古いのは、奈良の薬師寺です。このように、隠れたところに、多くの信仰の対象があり、これは、お城、と言うより、多くの人々の命を鎮めたところだったように、私は感じました。

This Buddha foot stone is said to have been found in a collapsed stone wall. This represents the foot of Shaka-sama. In ancient India, it was the object of worship. The oldest in Japan is Yakushiji Temple in Nara. Thus, in the hiding place, there were many objects of worship, and I felt that this was a place where many people’s lives were calmed down, rather than a castle.

ここは、豊臣秀吉の邸宅の跡です。

この安土城跡は、戦国時代を象徴するようなお城です。しかし、この城跡は、放置され続けました。1926年にようやく当時の文部省の指定の史跡になりました。1932年に文部省文化財保護委員会(当時)が特別史跡に指定しました。

今回は、ここまでです。次回も興味がありましたら、ご覧ください。

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This is the site of Hideyoshi Toyomi’s mansion.

This Azuchi castle ruins is a castle that symbolizes the Warring States period. However, the ruins of this castle continued to be left unattended. It finally became a historic site designated by the Ministry of Education at that time in 1926. In 1932, the Ministry of Education Cultural Property Protection Committee (at that time) designated it as a special historic site.

This time, that’s all. If you are interested in it next time, please have a look.

この記事はパンプレット、wikipediaを参考に作成されました。

This article was created with reference to Pumplet and wikipedia.

日本は曖昧の文化古典から読み解く。Japan interprets from the cultural classics of ambiguity.

有名な第一段。日本人なら、ああって言うほど、メジャーな部分。

春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

なんてことない。春の情景です。

けれども、実際に日本に住んでいると、この情景は、なんとも言えない、日本の春を彷彿するのです。けれども、実際に日本に住んでみるとこの情景は、日本の文化でもある。

日本の春の空は、いつも雲のかかっているような空がほとんどなのです。だから、「紫立ちたる雲」って言葉に、強くひかれる。これが日本の春の空だからです。日本は、偏西風が中国からちょうど通るのが、春。中国は、黄河という大きな河があります。その黄河は、黄色い小さい砂を撒き散らします。そうして、それは、中国では、光化学スモックのように埃のように舞い上がる。その黄河の砂が、偏西風に乗って、日本に到達するのが、春です。だから、薄雲のようにいつも、春は曇天で桜も綺麗なピンクには見えない。紫の雲に混じって曇天の中、朝日と桜が、ぼんやり映る景色なのです。そう、日本の春は、いつも、曇天です。だから、「紫立ちたる雲」の美しさは、桜と朝日が、黄砂によって、ぼんやりとして、光に映った様子。まさに、そのぼんやりした、情景が、見事に美しいのです。

だから、日本の桜を海外に移植しても「日本の桜」の美しさは、ここ、日本でしか見れないのです。この、ぼんやりとした様子から、美しさを見出す、この文化は、日本の気質、曖昧さ、を見事に表現しています。つまり、交わりあうことによって、新たな美しさを見出すのです。それは、非常に、曖昧さ、があります。曖昧さは、日本の「和」にも通じます。これは、色んな物事を受け入れながら、これは混じり合い、その中から、美しさを見出しています。

私は、このブログのサポートを英語のチャットで受けます。けれども、英語には、「私」「あなた」と必ず、主語が必要です。

しかし、日本語は、主語を記載すると、日本の文章の「美しさ」が損なわれます。これは、文章にあらかじめ、お互いに、分かり合っていることを、書かないという文化があります。これは、海外から見れば、曖昧さ、に感じられるでしょう。けれども、「互いに分かり合っていることを」省略することにより、文章が、定型でなくなり、それは、多くの多様性を持った美しい文章を生み出すことになります。

あえて、省略することは、色んな美しさを持った文章構成ができるのです。だから、日本の文化は、そういう意味でも、曖昧さ、があります。

曖昧さ、は、悪く言えばルーズ、良く言えば、寛容である、と言えます。これは、日本の文化の、最も基本的な事柄です。ルーズとは、悪い、とは言いましたが、互いに「許しあえる優しさ」でもあり、これには、日本は、道徳が非常に大事になってきます。

儒教は、歳上を大切にし、人を大切にする道徳です。日本は、文化的に中国との繋がりが長く、多くのことを学んでいます。この儒教も孔子の教えであり、中国伝来のものです。韓国は、漢字を使いませんが、日本は、中国から伝来した、漢字を大切に使っています。このように文化や地域的に非常に繋がりがあります。

この、日本の曖昧さ、は、出発点は、中国でありながら、日本独特に発展しています。なぜなら、中国語も英語も構文は同じです。だから、非常にYES,NOがはっきりしています。しかし、文章構成的には、日本と韓国は、構文が同じです。だから、文章を最後まで聞かなければ、YES,NOはわかりません。

このように色んな国と文化を比較すれば、日本は多くの国々の文化を許容し、発展しています。これは、日本の文化の、美しさに、曖昧さ、があってこそ、このように日本は発展することができたのです。

今回は、古典の枕草子より、日本文化、曖昧さ、を説明しました。日本の文化を知ってくださり、これが、日本の気質であり、色んな文化と交流することを大切にしています。

なぜなら、日本は、西洋文化を受け入れる時には、カタカナ文字を作りました。だから、色んな文化が日本語にあることが、日本の言葉を勉強すれば、理解できると思います。

日本は、あまり主張は得意ではありませんが、寛容に受け入れることのできる文化を持っています。今、国際的に不安定な要素が多いですが、日本は、主張しませんが、色んな国々と深く交流する文化を持っています。

反発しあうのではなく、互いに深く交流し、互いに理解を深め、互いに発展できるような世界観が世界中に広がれば、とても嬉しく思います。是非、日本の文化、曖昧さ、が、世界に広がって欲しいと、私は、心から願っています。

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The famous first stage. If you’re a Japanese, it’s a major part.

Spring is Akebono. The hills that are finally getting darker are a little lighter, and the purple clouds flutter down.

There is nothing. It is a spring scene.

However, when I actually live in Japan, this scene is indescribably reminiscent of spring in Japan. However, when I actually live in Japan, this scene is also Japanese culture.

Most of the spring sky in Japan is always cloudy. That’s why I’m strongly attracted to the word “purple standing clouds”. Because this is the spring sky in Japan. In Japan, the westerly wind just passes from China in spring. China has a large river called the Yellow River. The Yellow River scatters small yellow sands. Then, in China, it soars like dust like a photochemical smock. It is spring when the sand of the Yellow River rides on the westerly wind and reaches Japan. Therefore, like thin clouds, it is always cloudy in spring and the cherry blossoms do not look like beautiful pink. In the cloudy sky mixed with purple clouds, the sunrise and cherry blossoms are dimly reflected. Yes, spring in Japan is always cloudy. Therefore, the beauty of the “purple standing clouds” is that the cherry blossoms and the morning sun are vaguely reflected in the light by the yellow sand. Indeed, the vague and beautiful scene is beautiful.

Therefore, even if Japanese cherry blossoms are transplanted overseas, the beauty of “Japanese cherry blossoms” can only be seen here in Japan. This culture, which finds beauty from this vague appearance, perfectly expresses Japan’s temperament and ambiguity. In other words, by interacting with each other, we discover new beauty. It has a great deal of ambiguity. Ambiguity also leads to Japanese “wa”. It accepts a lot of things, but it mixes and finds beauty in it.

I get support for this blog in English chat. However, English always requires the subject “I” and “you”.

However, in Japanese, if the subject is stated, the “beauty” of Japanese sentences will be spoiled. This is a culture in which we do not write in advance what we understand each other in the text. This may seem ambiguous when viewed from overseas. However, by omitting “what we know each other”, the text becomes non-standard, which produces beautiful text with a lot of variety.

If you dare to omit it, you can compose sentences with various beauty. Therefore, Japanese culture has ambiguity in that sense as well.

Ambiguity is, at worst, loose, and at best, forgiving. This is the most basic thing in Japanese culture. Loose is bad, but it is also “forgiving kindness” to each other, and morality is very important for this in Japan.

Confucianism is a moral that values ​​older people and values ​​people. Japan has a long cultural connection with China and is learning a lot. This Confucian religion is also a Confucius teaching and is from China. Korea does not use kanji, but Japan carefully uses kanji that came from China. As you can see, there is a great deal of cultural and regional connection.

This ambiguity of Japan is unique to Japan, even though the starting point is China. Because the syntax is the same for both Chinese and English. Therefore, YES and NO are very clear. However, in terms of sentence structure, Japan and South Korea have the same syntax. So, if you don’t listen to the sentence to the end, you won’t know YES or NO.

Comparing the cultures of various countries in this way, Japan accepts and develops the cultures of many countries. This is because Japan was able to develop in this way only because of the beauty and ambiguity of Japanese culture.

This time, I explained Japanese culture and ambiguity from the classic Pillow Soshi. It is important for you to get to know Japanese culture, and this is the nature of Japan, and to interact with various cultures.

Because Japan made Katakana characters when it embraced Western culture. Therefore, I think that you can understand that there are various cultures in Japanese by studying Japanese language.

Japan is not very good at making claims, but it has a culture that can be tolerated. Nowadays, there are many factors of international instability, but Japan has a culture of deep interaction with various countries, though I do not insist.

I would be very happy if a world view that allows us to interact deeply with each other, deepen mutual understanding, and develop each other, rather than repel each other, spreads around the world. I sincerely hope that Japanese culture and ambiguity will spread to the world.

コロナワクチンは、絶望的に無い。The corona vaccine is hopelessly absent.

ワクチン接種のお知らせをホームページで確認しました。ワクチンの国からの供給量が、かなり減る。ファイザー社製で、50%。モデル社製ゼロ。それで、基礎疾患のある人や、介護従事者や保育士、教職員等を優先的に接種するとのこと。もう、8月なんて、無理。

きっと、国産ワクチンが出るまで、どうやって生活するか、考えた方が良い。テレビなんて、報道関係者がマスクして、政治家に擦り寄り取材している。建前は、マスクしているけれど、もう、関係ない。一般人とは、違う。そんな画面で演技しても、国民は分かっている。

一般人は、もう国産ワクチンしか無い。だから、きっと、来年だ。そう、日本では、来年のことを言うと馬鹿にされる。こう言います。「来年のことを言うと、鬼が笑う。」そんなことわざがある。日本国民は疲れた。だから、投げやりになる。笑うしか、無い。

だから、脱線したくなる人もいる。だって、生活に困る人々がいる。彼らには、家族が居る。だから、緊急事態宣言なんてしても、生活に困る人々がいるから、そんな強制力は無い。日本人は、律儀だ。だから、そんな無茶苦茶にはしない。けれども、もう生活に支障が出る人々がいる。そんな理想的にできない。良心もある。

だから、そこには、矛盾ができる。だから、日本人は、このコロナで、いっぱい心の病気になる人が、後を絶たない。真面目だから、そうなる。こんな時にワクチンが、約束通りに来ないことは、その国を覚えておこう。どの国が、一番、誠実なのか、究極の場面で分かる。

日本は、そんな世界から国歌も奪われる程、民族性が低い?日本には、滅私奉公って、言葉がある。以前にも書いたけれど、自分を無くして、みんなに奉仕する。そんな言葉がある。

従軍慰安婦の銅像を世界中に建て、それで、叩く。そんな日本は、悪い国民性なの?人々は、病気になって、自殺する人も多い。自分を責めてしまう。他人に転嫁しない。だから、銃なんて、そんな野蛮な、人を攻撃することなんてしない。事実、日本は、「刀狩り」をしている。

世界に問いたい。日本は、そんなに悪い国?もう、謝罪には、疲れた。もう、コロナにも、疲れた。そう、誰も助けてくれない。そう、日本は、ワクチンを色んな困った国に援助した。そう、本当に、そんなことばかりです。だから、困る。だから、心の病気が多い。自殺が多い。

そんなに責任を負わせないで欲しい。一生懸命頑張っている。だから、日本人を責めてほしく無い。日本は、頑張っている。だから、このオリンピックは、成功したい。だけど、人々の生活がある。そんなもう、感染者数は、減らない。そう断言する。

その中で、心から頼れるのは、日本人の医師だ。彼らは、そんな高いお給料なんて、もらっていない。逃げ出したりしない。日本の医師は誠実だ。だから、もう、医療に頼って、その場を凌ぐしか無い。そう、職種によって、分断される。

でも、国民総保険制度だから、なんとかなる。医療関係者の方々には、感謝の心しか無い。これから、医療が逼迫する。だから、今の内に、ゆっくりしてください。もう、ワクチン無いから、それしか無い。本当に医療関係者には、心からの感謝しか無い。これから、大変になる。

そう、じっくりと、その時が来る。だけど、一部の人々だけだから。仕方ない。だって、生活のために、これ以上、堪えられない人々がいる。なるだけ、迷惑をかけることはしないように日本国民は、頑張っている。早く、平和になりますように。

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東京オリンピックの結団式と聖火。Tokyo Olympics unity ceremony and torch.

2021年7月6日、ついに、東京オリンピックの結団式が行われた。これは、例年と違い、オンラインで公開された。そう、歴史的出来事だった。選手の代表から、国民への感謝の気持ちが述べられた。とても、胸が熱くなって、思わず、涙ぐんでしまった。そう、ここまでくるのは、大変だった。

私は、ほとんど外出することは無い。必要最低限しか、外出しない。老親の通院で、バスに乗る。その乗り場の柱にステッカーが貼ってあった。「医療従事者の皆さまありがとうございます。」とメッセージがあった。そう、通勤でバスを利用する医療関係者にバス会社がメッセージを添えている。心温まる出来事だった。

そうして、私は、付き添いで、病院に向かう。1週間前に検査した結果を聞きに行くためにバスに乗り、病院に向かった。実は、母は、病院で、バスの定期券を無くした。バス券を買い、病院に向かった。もう、1週間も前のことだし、諦めながら、診察日のついでに、バスの定期券のことを調べてもらった。

なんと、無くしたそのまま、出てきた。何枚もあるテレフォンカードも、たった1枚の硬貨100円まで、全て出てきた。もう、感激した。ああ、日本ってこんな素晴らしい人々に囲まれて、しあわせだと感じた。これだけで、しあわせな1日だった。

そうして、夜に、結団式で、日本代表選手団からの感謝のメッセージだ。胸が、いっぱいになった。そう、皆んなに、希望と夢を届けてくれる選手たちだ。自粛生活で、コンデションは、最高では無い、多分。

聖火リレーも自粛ムードだ。けれども、そこには、人々の「無念」、つまり、どうしてもできない、辛い思い出の詰まった炎です。そう、そんな人々の心のともしびが、集まった炎なのです。その聖火を見上げ、観客がいなくて、競技場が、「空」なったとしても、人々は、今まで以上に「希望」を持ち、このコロナで、打ち砕かれた心を、選手達の姿を、自分に重ね、明日を、明るい明日を待っている。

そう、日本人は、世界の選手全員に全力を尽くして欲しい、と思っている。後悔しない競技をして欲しい。そうして、小さな島国だけど、精一杯の「おもてなし」で、開催する「東京オリンピック」だ。日本で、競技できて良かった。そんな思い出が、できるような、大会になればと、日本国民は、願っている。

そう、人々は、外に出ると、マスクをして、無言だ。それほど、徹底して、皆んなお互いに、気遣っている。言葉なんて要らない。心で繋がっていれば、それで良い。そんな、日本の文化を感じて、欲しい。

何の資源もない日本です。あるのは、痩せこけた大地。山が、多く、火山灰があり、痩せこけた大地は、時に凶器になり、地滑りを起こし、土石流を起こし、人々は命を失う。地震もある。そんな恵まれない日本だ。

こんなコロナで、恵まれない時期に、世界的イベント、東京オリンピックが開催された。不幸に見えるかもしれない。けれども、これは、世界中の人々の心のともしび、そう、聖火が灯っている。毎日命が失われている。

そんな時期だから、せめて、世界の人々の心のともしびになるような、そんな大会になることを願って止まない。皆さまの未来と希望を込めて、大会は、大きく舵を取った。

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東京オリンピック2020は、日本人の我慢とおもてなしで開催される。The Tokyo Olympics 2020 will be held with the patience and hospitality of the Japanese people.

今更ながら、昭和天皇は、すごい人物だったと感じる。「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」。この言葉が、今の日本人の心境です。耐えられ無いものを我慢する。ちからいっぱい我慢する。本当にそうだと感じる。

日本で、東京オリンピック2020が開催される。これは、2021年7月23日-8月8日まで、です。続々と選手団は到着し、そうして、日本は、それに応じて、色んな対策をしている。中には、発展途上国から来た選手にコロナ陽性反応が出て、接触者全員隔離になっていたりする。これは、ほんの一部で、つまり、日本は、コロナの感染者が、増える可能性を大いにある。

今、日本では、ほとんどの人々は、コロナワクチンの接種券配布されるのみで、接種される予定も、あいまいです。日本は、とても「外に対して、発言ができない国」です。だから、連日、報道されているワクチン接種状況など、信じてはいけない。

私は、未だワクチン接種券も来ていない。仮に来ても、仕方ないのです。何故なら、8月に(予定)と書かれて、その具体的なことは、場所ぐらいで、何も、書かれていない。これを知ったのは、ホームページを見たからです。

それに、オリンピックの開催期間前にワクチン接種ができない、のです。つまり、日本は、国民を我慢をさせ、オリンピックを優先したのです。だから、選手が、抜け出し、色んなことをすれば、免疫が無いから、コロナが広がる。これだけ、世界中で、ワクチン接種もせずに、コロナウイルスが広がらないのは、日本国民のモラルと自制心によってなっている。

それに、世界中から人々が日本に訪れる。日本には「おもてなし」の文化がある。だから、観光関係者は、ワクチンを受け、それに対応する。けれども、それは、日本国民は、外出できない。つまり、我慢を敷いている。さすがに、命は、大切だから、高齢者は、ワクチン接種をした。私の両親も接種した。けれども、その他国民は、オリンピックの開催期間後にしか、接種できない。報道なんて、偏っている。

普通の一般人は、外食もできず、スーパーのお弁当が良く売れている。そんな状況なのです。一部の恵まれた人しか、ワクチン接種を受けれない。国民は、文句も言わず、黙っている。そういう時に、オリンピックは、開催されるのです。

日本の政府は、日本の国民に感謝の言葉を言うべきだ。だって、こんなにワクチンが行き渡ることなく、オリンピックを開催し、ワクチン外交までしている。日本国民を犠牲にして、色んなことが行われている。それは、色んな意味で、仕方ないことだと、日本独特の文化があり、無言で、共有される。ここまで来て、オリンピックはできないのは、経済損失や、色んな方面に迷惑をかける。色んな海外の国が、ワクチン不足で苦しんでる。それも分かる。

日本人は、統率されている。それは、外国から見れば、時に、島国と言われ、馴染みにくい。けれども、それは、それで、言葉が無くとも、通じ合う。日本国民は、世界的イベントを心から喜び、そのことに対して、「我慢している」。そうして、皆さまが、喜んでいただくことを、楽しみにしている。

だから、日本国民は、ワクチン接種ができないけれども、それは、テレビで、オリンピックを見て、ささやかな喜びの瞬間を待っている。そう、ほとんどの日本国民は、ワクチン接種をしていない。こんな奉仕の精神がある。これこそ、究極の「おもてなし」だ。日本国民は、不満は言わない。それが、日本の精神なのです。

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ロンドンナショナルギャラリー展オンラインガイド。ゴッホ、ひまわり。London National Gallery Exhibition Online Guide. Van Gogh, sunflowers.

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